ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

          フィギュア王 No.134(2009/03/27)



         ええと、どこがフギュアと関係があるの?

             フィギュア王

 ラジオライフに連載されている『古今東西トンデモ事件簿』での盗用が発覚し、担当編集者は退社、以来パクリ防止のために編集部から与えられたお題に沿ったネタに限られた唐沢の連載が、もはや『事件簿』とは程遠い、他人の著作をだらだら紹介するだけの酷いものになったことは、ここで再三指摘してきた。「酷いものになった」と書いたけど、それ以前は「パクリ」と「ガセ」で書かれた別の意味で酷いものだったんだけどね。
 普段の日記では、資料集めが大変の、原稿を書くのが忙しいのと、紙屑の作成に苦吟していると訴えているが、成果物はこの惨状。では、他の連載はどうなっておるのかと、上記『フィギュア王』の連載『唐沢俊一のトンデモクロペディア』をチェックしてみた。今回は「47th 『秀吉怪談』である。
 タイトルを見て、あれれと思った方も多いだろう。秀吉ですぜ、秀吉。唐沢ときたら『ジャパニーズ・フィギュア・アートシーン』での横領問題が有名だから、そこら辺の“濃い話”でも聞かせていただけるのかと思ったら、いきなり秀吉だもんなあ。
 『フィギュア王』のため誤解されないように書いておくが、他の連載陣、河崎実、中野貴雄、樋口真嗣、珍屋阿部、吉村明彦、中沢健、たいらめぐみ、芝田隆広、吉田豪、そして、唐沢なをき(しかし、豪華なメンバーだね)は、本当に面白いフィギュア&特撮ネタを語っている。今月のゲスト、牛場賢二(実相寺組の証明技師)は『ウルトラQザ・ムービー』の逸話を語り、美術スタッフが作った自分のフィギュア(仏像!)を紹介しているし、藤原組長は「モスラ香炉」制作の苦心談を語っている。このモスラの幼虫型香炉、香を焚くと、口から煙が糸のように立ち上るという優れものなんであります。
 こうした連載の中で、完全に浮き上がっていて、しかも、面白ければそれなりに評価のしようもあるけで、面白くもなんともない唐沢の文章は、読者を嘗めていると言っていいだろう。

 NHKの大河ドラマ『天地人』では、イケメン俳優が勢ぞろいだが、秀吉役の笹野高史は例外だ、というどうでもいい話から始まり、ルイス・フロイスは秀吉を醜男と書いているとか、手の指が6本あったとか、“重眸(ひとみが二つ)”だったとか、主に容姿に関する奇怪さを書き並べ、江戸時代の随筆集、『真佐喜のかつら』の中の、こんな記述を紹介する。
 
 別に変わったこともございませんでしたが、ただ、太閤様は一間のご寝所に入られ、中から掛け金を掛けてしまわれます。目が覚めるまで決して起こしてはならぬ、とのお言いつけなのですが、ときには急なご用事で家臣の方々がおいでになることもあり、そのときはやむをえず障子の外から声をおかけいたします。そのとき、障子に穴をあけこっそり中を覗き見いたしますと、太閤様のお姿が、広いお座敷いっぱいに膨れておいでになるときがございました。また、そこまでではなくとも三四畳敷くらいに広がっておられることもあり、まことに身の毛のよだつ思いでございました。何につけ、われわれとは違ったお方でございました。

 へえ……。
 で、それがどうしたの、と思って、ソルボンヌK子の下手糞なイラストを見たら、肥満した武士(秀吉のつもりなんだろう)の上半身前部にジッパーが描かれて、

 秀吉膨張の謎
 デカくなりたい…
 着ぐるみオタクだった!!


 オイオイ(笑、そうきましたか。「着ぐるみオタク」という訳の分からん言葉で、この下らない文章を無理矢理、フィギュアネタにしようというわけですか。
 で、この後も、ダラダラと『武辺咄聞書』の千利休の幽霊の話を紹介し、それでも規定の枚数が埋まらなかったようで、さらに駄文を綴る。

 晩年の秀吉は世界制覇の野望にかられ、まずその手始めとして朝鮮半島に兵を送った。秀吉は部下の兵士たちに、朝鮮の人民を殺し、その耳を切り取って持ち帰れば、その数に応じて褒美を出すだろうと命じた。

 こいつは、“推敲”ってことをしないのだろうか。部下の兵士たちに ~ その数に応じて褒美を出すだろうと命じた。戦国ゲームの片手間に厨房が書いた作文みたいな文章だな。いや、それよりなにより、耳を持ち帰るということの意味が分かっているのかいな。

 当時は戦功の証として、敵の高級将校は死体の首(漢語では頭のこと)をとって検分したが、一揆(兵農分離前の農民軍)や足軽など身分の低いものは鼻(耳)でその数を証した。これをしないのを打捨という。また、運搬中に腐敗するのを防ぐために、塩漬、酒漬にして持ち帰ったとされる。検分が終われれば、戦没者として供養しその霊の災禍を防ぐのが古来よりの日本の慣習であり、丁重に供養された。

 「Wikipedeia 耳塚」より

 朝鮮の人民というのも変な言葉だな。人民とは明治時代に作られた法律・政治用語で、官吏と軍人を除く一般人のことを示す。その後、君主国の国民たる「臣民」に対して共和国の国民を「人民」と呼ぶようになった。中華人民共和国などがその用例である。
 秀吉は「朝鮮の非戦闘員を殺して耳を持ち帰れ」と命令したのか? その数に応じて褒美をとらすぞと。酷いもんだね。「嫌日」の歴史学者が書くような文章だ。あ、ひょっとして、そうした人のblogからパクったのかな(笑。
 さらに唐沢はこう続ける。

 その望みは、ライバルだった徳川家康が大阪城と共に秀頼を滅ぼすことで断たれるが、そのきっかけとなったのは、秀頼が寄進した鐘に刻まれた、“君臣豊楽、国家安康”の四文字だった。

 八文字だと思うぞ。
 いや「国家安康」の四文字に家康が「家」と「康」を切り離したと因縁をつけたから四文字でいいのだといいたいのかな。唐沢は書き忘れたのか、そのことには一切触れていない。どっちにしろ“君臣豊楽、国家安康”は八文字だ。

 しかし、酷いの一言。よくもまあ、しゃあしゃあと連載を続けているものだ。
 豪華な執筆者がそろっているこの雑誌、唐沢の連載は足を引っ張っているだけだと思う。


          ラジオライフ 5月号(2009/03/25)



      第44回「世界を変えたサギ的名著」の巻

          ラジオライフ5

 『ラジオライフ5月号』の特集が「盗み・サギの手口を全部バラす」であることを受けて、トンデモ本の専門家を以って任ずる唐沢は上記のテーマを書き下ろしているのだが。
 今回は、こんな文章から始まる。

 文藝春秋発行の雑誌『マルコ・ポーロ』が、『ナチ「ガス室」はなかった』という医師・西岡昌紀の記事が元でユダヤ人団体とイスラエル大使館の抗議を受け、廃刊になった事件があった。この記事は、発表されたのがあの阪神・淡路大震災の起こった1995年1月17日であったにも関わらず、日本のマスコミ・アカデミズム界を巻き込む大きな騒動になったので、記憶している方も多いだろう。

 これだけの文章にも間違いとガセがある。雑誌名は『マルコ・ポーロ』ではなく『MARCOPOLO』。日本語の表記も『マルコポーロ』である。

              MARCO


 問題の記事は「戦後世界史最大 のタブー。ナチ『ガス室』はなかった。」。そして、この記事が載った2月号が発売されたのが、1月17日なのだから当然ながら大震災の陰で「日本のマスコミ・アカデミズム界を巻き込む大きな騒動になった」りはしていない。発売直後に、サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)とイスラエル大使館によってなされた抗議も震災の報道のために話題になることはなく、日本のマスコミが取り上げたのは27日になってから。そして、議論が尽くされることもなく、文藝春秋社は1月30日に『MARCOPOLO』の廃刊、及び花田紀凱編集長の解任を発表したのである。
 唐沢はこの後に

 果たしてガス室があったかないかについては、読者の皆さんで判断していただきたい。

 と、結んでいる。しかし、これに関しては、Wikipediaの「マルコポーロ事件」が詳細に検証している。
 ジャーナリストの梶村太一郎と金子マーティン日本女子大学教授が、マルコポーロ事件に関連して「週刊金曜日」(1997年1月)誌上に「『ガス室はなかった』と唱える日本人へ捧げるレクイエム」と題する文章を寄稿し、ホロコースト否定論を糾弾した。これに対し終始西岡擁護の立場にあったホロコースト見直し論者木村愛二は、両者を名誉毀損で東京地裁に訴えたが、地裁は請求を棄却し、逆にガス室の存在を事実として認定したのである。
 今、この唐沢の文言「果たしてガス室があったかないかについては、読者の皆さんで判断していただきたい」を、サイモン・ウィーゼンタール・センターに通報すれば、たちどころに唐沢は糾弾されるだろうが、ラジオライフの存続に関わるような事態に発展するのは、わたしの望むことではないのでやめておく。
 で、この一連の「マルコポーロ事件」が今回のテーマ「世界を変えたサギ的名著」に関わってくるのかと思ったら、なんと唐沢はこう続けるのだ。

 ナチのガス室の存在・非存在が争われた雑誌の誌名にとられた人物“マルコ・ポーロ”という人物が、そもそも果たして存在したかしないのか、その真偽について論争を呼んでいる人物なのだ。そう思うと、この誌名で“あった、ない”論争が巻き起こったのは、ある意味、非常にふさわしかった。

 酷い日本語だね(毎度のことだが)。「果たして存在したかしないのか、その真偽」ってどういう意味? 存在したのが真実で、していなかったというのが虚偽だっていうのかね。「論争を呼んでいる」と現在形で書かれているが、そんな論争が成されていたとは寡聞にして知らないぞ。京都大学教授の杉山正明が『東方見聞録』の写本における内容の異同が激しすぎること、モンゴル・元の記録の中にマルコを表す記録が皆無なことなどを挙げて、マルコ・ポーロの実在に疑問を投げかけているが、「論争を呼んでいる」という話は聞かないし。「この誌名で“あった、ない”論争が巻き起こったのは、ある意味、非常にふさわしかった」に至っては妄想以外なにものでもないだろう。

 で結局、唐沢の結論は「史上最大のサギ書『東方見聞録』を読む」なのである。「古今東西トンデモ事件簿」と銘打って、お手のものの「歴史上の詐欺事件の数々」を語るのかと思いきや、『東方見聞録』ときましたぜ。しかも、「史上最大のサギ書」と言い切った。その中身は――

 まず、話を進める前に『東方見聞録』の百科事典的解説を少々しておこう。

 と、文字通り、“百科辞典丸写し”風の文章が約1ページ続き、

 ところが、その記述に疑義を唱えたのが、大英図書館の中国部主任フランシス・ウッドという女性だった。
 ウッド女史は、『マルコポーロは本当に中国に行ったのか』(1995年。日本では草思社から1997年に翻訳)という本を書いて、幾つかのポイントを指摘し『東方見聞録』は偽書である、と結論づけた。


 後はその要約が1ページ半。ウッドの指摘する「マルコポーロの記していない中国の風俗」に「万里の長城」が含まれているなど、ウッドの中国の風俗の理解にも間違いが見られるのだ。例えば万里の長城の築城は秦代および明代であり、明のひとつ前の時代である元代においては、万里の長城が最も荒廃していた時期であるのだが、唐沢は、こう切って捨てる。

「マルコ信者必死だな」というような感想が浮かんでくるような擁護論に聞こえてしまうのが何とも……。

 何とも……(笑。
 それに、フランシス・ウッドは『東方見聞録』に疑義を呈してはいるが、「“マルコ・ポーロ”という人物が、そもそも果たして存在したかしないのか」なんて議論は全くしていないのだ。

 そして、唐沢はこう結論する。

 果たして『東方見聞録』は貴重な歴史の記録なのか、それとも稀代のサギ的偽書なのか。少なくとも800年以上に渡り、世界をだまし続けてきたということを考えれば、まさに史上最大級のサギ書といって過言でないだろう。

 おいおい、「果たして~なのか」と書いておいて、なんでいきなり偽書・サギ書という結論になるのかね。いっそ『聖書』とか『仏典』に書かれている内容を検証して、「これぞ人類史上最大の詐欺書だ」くらい言って欲しいところだな。そんなことできるわけ無いジャン、と他人の書いた本の要約でお茶を濁すなら、カール・シファキスの『詐欺とペテンの大百科』くらい面白い本を紹介してくれ。
 ユダヤの陰謀論なら、昨年末、シオニストに偽装した、マドフ元ナスダック会長の500億ドル(4兆500億円)詐欺事件とか、面白いネタはいくらでもあるだろうってのに。

 本当にこの連載、なんで続いてるんだろう。特集以外にも北尾トロの『超越大陸』(今月は姫路城の23分の1スケールを広大な土地に建てた男への取材)とか、今井亮一の『交通裁判ウォッチング』(今月は免許証の偽造で逮捕されたレーシングドライバーの裁判)とか面白い記事がたくさん載っていて、唐沢の『東方見聞録』なんて思いっきり浮いているのに。


       コンラッド・ハーストの正体(2009/03/25)



         ご都合主義の作者、自分勝手な主人公

 裏表紙の惹句にちょっとイヤな予感はしたのだ。
 哀愁のラストが待つ絶品サスペンス!
 これでハッピーエンドを期待する馬鹿はいないだろう。主人公、もしくは主人公の愛するものが失われる喪失感、簡単に言えば悲劇的な結末なんだろうとは想像がつく。それでも読んだのは、本書の解説で香山二三郎が、再三に亘りロバート・ラドラムの『暗殺者』を引き合いに出して本書を語っていたからだ。二十数年前『暗殺者』の下巻を後少しで読み終わるというとき、非情にも(なんか変だが)新幹線は新大阪に到着してしまい、わたしは改札内にある喫茶店に入りビールを注文して読了した。まさに「一読巻措く能わざる」とはこのことで、ビールをお代わりして読後の余韻に浸る快感は筆舌に尽くしがたかった。
 そうした快感が再び味わえるかもと読み始めたのだが。

 こんな話。
 コンラッド・ハーストは「殺し屋」。カメラマン志望だった青年時代、安っぽいヒロイズムから戦時下のユーゴスラビアを訪れ、そこで恋人アンネケを失う。それがきかっけか、コンラッドは犯罪組織の殺し屋となり、命じられるがままに多くの人間を殺めた。ところが、いかなる心境の変化か、突然殺し屋を辞めようと決意する。そうとなったら、自分の正体を知っている組織のボス以下4人を殺すべきだと判断して、早速殺人計画を実行に移す。早くもヲイヲイである。なんて勝手な奴だよ。金のためとか、主義、信条のためとかならともかく、恋人に死なれて、ヤケクソで人を殺し捲くっていた男が、自己の過去は肯定して新たな道を歩むために4人殺しを正当化するのかい。
 実は、この心境の変化の理由がはっきりしない。中途半端な自分探しが理由なのかとも思えるが、そのため読者は、コンラッドに共感できないまま読み続けることを強いられる。
 連絡係だった男をあっさり殺し、組織のボス、ユリウス・エーベルハルトに狙いを定めるが、これが全くの別人。コンラッドは、自分が犯罪組織ならぬ別のなにかの命によって殺しを続けていたことに気付く。いや、それに気付いたからこそ、組織を抜けようとしたのだというなら、まだ分からんのじゃないのだが。

 ネタバレ ↓

 コンラッドを操っていたのはCIA。しかし、ここに登場するCIAの面々は呆れるほど軟弱で無能。4人殺したら殺し屋を辞める決意したはずのコンラッドは、当初の計画には入っていないCIA捜査官を次々にあっさりと殺してしまう。そして、旅先でコンラッドと知り合う、妙齢の女性はフランス対外治安総局のエージェントだったり、CIAの捜査官だったり。しかも、この女たちも、コンラッドの正体に気付いたインターポールの刑事も、決してコンラッドを殺そうとはしない。「ここから歩いていこうとしたら、狙撃手に背中を撃たれるのか?」というコンラッドの問いに、CIAの女性捜査官はこう答える。「CIAはほんとうは立派な、責任ある政府機関なのよ。そんなまねはしないわ」再びヲイヲイだよ。当のコンラッドを騙して散々人を殺させておきながら、よくもまあそんなことが言えるよなあ。結局コンラッドは無事で、なんというご都合主義だろう。

 ↑ ネタバレ

 惹句に偽りはなく、確かに「哀愁のラスト」は待っているが、それが哀愁なのも総てはコンラッドの身勝手さのせいなのだ。作者はこのラストが書きたくて(気の利いたドンデン返しだと思ったのだろう)この小説を書いたのではないか。つまり途中の部分は単なる枚数稼ぎ。そりゃあご都合主義にもなるだろう。ところが残念なことにこのドンデン返しもさほど面白くない。「哀愁」というより「間抜け」といった方がいいような代物なのだ。

 一つ笑ったこと。
 わたしに限って言えば、外国人の登場人物の名前は、著名人の名前を組み合わせて創作している。例えば『白菊』に登場するロシアの芸術家、ゲンナジー・ポントリャーギンという名前は、読売交響楽団の指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーと数学者レフ・セミョーノヴィッチ・ポントリャーギンの合わせ技である。
 本書の冒頭でコンラッドに殺されるドイツ人の老人の名前が、ハンス・クレンペラー(作者はベルギー人)。思わず苦笑しちまった。だって、ドイツ人のハンスときたら、アメリカ人のジョン、フランス人のピエールみたいな陳腐な名前、クレンペラーはニュー・フィルハーモニア管弦楽団の名指揮者オットー・クレンペラーからのいただきだろう。同じようなことやってるなあ、と思って読んでいたら、こんな台詞が出てきた。

 「ハンス・クレンペラーの自殺の件についてお話がしたいのですが」
 「どこかの作曲家のことですか。それとも指揮者だったかな?」


 やっぱり(笑。

 これで、『暗殺者』を引き合いに出しちゃ不味いでしょう、香山さん。

 ハースト

 『コンラッド・ハーストの正体』
 ケヴィン・ウィグノール 松本剛史 訳 新潮文庫 2009


         マンガ大賞2009(2009/03/24)



            『ちはやふる』

            ちはや

 過去2回のエントリで紹介させて戴いた、末次由紀の『ちはやふる』が、マンガ大賞2009の大賞を受賞しました。そうだろうなあ、とてつもなく面白いもの。おめでとうございます。末次さん、不幸な過去をふっとばして、ますます面白いマンガを発表して下さい。
 マイミク安部夜郎さんの『深夜食堂』も4位に入賞いたしました。こちらも面白いよ。
 日経トレンディネット


            明日は引越し(2009/03/17)



 ということで、ゲラチェックをなんとか完了させる。引越しのドサクサでなくなったりしたらエライことなので、近くのコンビニから創元社に送付。こんなこともメールで出来る様になると有り難いんだけどね。
 明日、明後日は搬出、金曜日が搬入。その間、どこで寝るのかとか、どこで飯食うのかとか、光ケーブルの工事が入るからテレビだけ先に搬入せねばとか、定期はどうするとか、転入が終わったら免許証の住所変更もしなければならないし。後、もう一山。

 しかし、何年かぶりの多忙な日々であります。


              校閲(2009/03/12)


              
             常識だと思うんだけど

 原稿

 ちょっと見辛い写真で恐縮ですが、「日々是好日乎」3月11日のエントリで書いた、創元社の原稿のゲラです。上がゲラで、鉛筆や赤で細かい直し、疑問点などがびっしり書き込まれています。下の右側が登場人物の一覧表、1回きりでも登場した人物の名前、特徴、設定がメモされ、矛盾点等が生じないようにされています。左が、漢字表記の一覧表で、例えば「かもしれない」と「かも知れない」の2種類の表記があった場合、統一を指示されます。どの表記が何ページに存在するのかが一目瞭然です。この二つは各々数ページあります。過去3回の出版のときも同様でした。
 そんな経験から、唐沢俊一の著作に、誤字、誤植と並んで表記の不統一がしばしば見かけられる、その理由がちょっと理解出来ないのです。以前その点について言及したら、2ちゃんねるに「校正はいちいちそんなこと言ってこない」とか「表記は作家が決めることで口出しなんか出来ない」とか、さも自分は出版の事情通だといった口調の書き込みがありましたが、唐沢の本を出版する出版社総てが、そんな杜撰な手法をとっているのでしょうか。因みに、わたしの場合は角川も徳間も講談社も、同じ手間をとって作品の質の向上に努めてくれました。
 さらに、例えば唐沢の著作『近くに行きたい』は講談社から出ていますが、その中の「トーマス・マンの小説を読むと、主人公がしょっちゅう避暑にいくのに呆れる。『魔の山』も『ベニスに死す』も、避暑地の話である」なんていう出鱈目な文章が、なんで校閲でひっかからないのでしょうか。講談社の校閲は非常に厳しかったという記憶があります。
 まさか、校閲者からの指摘に対して「おれは雑学の神様だぞ、ガタガタ言うな!」と言ってはねつけたのでしょうか。それとも、あまりのガセの多さに校閲者が己の職務を放棄したのでしょうか。
 いずれにしても、常識的な出版の流れからは考えられないことなのです。出版社が誤解されないようにと思い、ちょっと書かせてもらいました。


           死の蔵書(2009/03/11)



             見事な失敗作


 はいはい、諸般の事情により今頃読みました。
 本好きで古本屋好きでミステリ好きな小生が、なんで今まで読まなかったんだろう。読まなかったけど、なんか気難しい古書マニアが何人も登場して、“グーテンベルグの聖書”とか、シェークスピアの初版本とか、巨大な革表紙の博物事典に挟まれて圧死する学者とか、そんな小説を漠然と想像していた。
 でも、全然違うのね。
 現代のアメリカ、デンバーで、古本の掘り出し屋が殺される。日本でいえば、100円均一の棚からお宝を探し出して、何万円という価格で売り飛ばす生業。で、それを捜査する警官が、これまた古書マニアで被害者のこともよく知っているという設定なんだが。
 これから、ボロカスに貶すので、まず、面白かった点について書こう。
 一つは、アメリカではミステリの初版本に、結構良い値がつくことだ。ポーの第一詩集『タマレイン』が25万ドルなんてのは、なるほどなあって感じだけど、キングとかトマス・ハリスとかちょっと古いけど、ガードナーとかロバート・ブロックとか軒並み数万円で取引される。ロスマクとかクリスティの初版本はさらなる稀覯本なのだそうだ。
 もう一つは、アメリカの作家って、同業者や出版社をボロカスに書いても、出版してもらえるってこと。キングも作品によりけりだけど、クーンツとかクライブ・バーカーは貶し捲くるし、《リーダーズ・ダイジェスト》のコンデンスト・ブックに至っては「犯罪的なくらいおつむのたりない人間のために出版されている」。凄いなあ。

 で、作品自体なんだが。タフで古本マニアの警官が主人公。タフな警官の話を書くか、古書マニアの話を書くか、迷った末に混ぜたんだろうなあ。混ぜるな、危険だよ、本当に。
 主人公の発言、行動、全く共感が得られないし、主人公とヒロインの関係も、餓鬼みたいというか情けない。主人公の恋人は途中でいなくなるし、警官を馘首になった主人公のもとに、可愛くて賢くてやる気満々の女の子が「雇って」と登場するのもご都合主義。しかも、この女の子かなり重要な登場人物なのに、登場人物表にも書かれていない。ひょっとして、別の誰かなんじゃないのかなんて邪推しちまった。
 とにかく主人公は事件を解決したいのか、稀覯本を探し出したいのかよく分からないし、なにより、さっぱり働かないから、事件はなかなか解決しない。
 最後のある人物の一言が、まさに最後の一撃なんだが、もうどーでもいいよ状態になってるから、全然ショックじゃないんだよね。

 この本、「このミス1997」の海外部門の一位なんだって。
 信じられないね。

 死の蔵書
 『死の蔵書』ジョン・ダニング 宮脇孝雄 訳 早川書房 1996


          ペガサスと一角獣薬局(2009/03/07)



          バカミスからバカを抜くと

 本格ミステリ大賞の選考が近付いてきた。昨年のマイ・ベスト5は、
 
 1、『カラスの親指』道尾秀介
 2、『黒百合』多島斗志之
 3、『ラットマン』道尾秀介
 4、『造花の蜜』連城三紀彦
 5、『ジョーカー・ゲーム』柳 広司

 なんである。このうち、1、3は前々年の受賞者の作品だから、それを除いた3作を候補作にしたのだが、結局、『造花の蜜』以外は落ちてしまった。候補作のうち、未読だった『完全恋愛』に続けて本作を読んだのであるが。
 ネット上の評判は上々というか傑作と言う言葉が例外なく書かれている。以前、『ゴーレムの檻』が候補作になったとき、柄刀一という人の作風がなんとなく理解できたと思っていたが、どうやら間違いではなかったようだ。

 本格ミステリは専門料理店だと看破したのは、故都筑道夫だが、わたしはもうちょっと下世話なたとえ話をしてみたい。
 100円の原価(仕入れ値でもいいが)の品を150円で売るとき、そこに上乗せされる50円の詳細を提示して、買い手を納得させるような小説。これを「本格150円ミステリ」と呼ぶ(ダイソーとは関係ないす)。嘘偽りはなく、伝票の類も総て詳らかにされ、買い手は充分に納得して購入することになる。つまり、手がかりを総て示して、事件の真相、真犯人を明らかにするというやり方である。探偵クイズとか、読者への挑戦なんてのは、総てこれに含まれる。この150円ミステリ界の巨匠は、なんといってもエラリー・クィーンで、その信奉者も数多い。
 さて、同じく100円の品物に、10,000円と値付けする手合いがいる。フルコストで説明したって当然納得がいくはずもない暴利だが、思いもよらぬ価値を付加し、財布の紐を緩めさせてしまうことも可能なのだ。この付加価値を都筑道夫は「論理のアクロバット」と呼んだが、この「10、000円ミステリ」という奴がわたしの考える「本格ミステリ」なんである。この世界の巨匠が、アガサ・クリスティと言えば、お分かりいただけるだろうか。
 100円の元値の品を100万円で売るのは――つまりバカミスである。論理の大サーカスが展開されるわけだ。

 閑話休題。
 本書は、まさにこの「150円ミステリ」なのだ。だからこそ、本格ミステリ大賞の候補作に選ばれ、絶賛に近い評価を受けているのだろう。それに関しては異論はない。しかし、なんである。

 島田荘司の作品には、しばしば異形の怪物が登場する。狼の顔をした人間とか、人魚とか、妖精とか、顔半分が骸骨と言うファントマとか。お読みになった方は当然その正体を知っていると思うのだが、それこそ、その正体は「思いもよらぬ」ものだった。本書の表題作(連作短編集である)『ペガサスと一角獣薬局』では、冒頭に一角獣が登場し、その写真までが撮られる。まさに、島田作品を思わせる雰囲気。現実と言う「100円」の世界に登場する「100万円」の怪物の正体は。さて、どんな大サーカスが見られるのかと期待したら、なんと……。
 なんの破綻もない。充分に納得のいくものだ。しかし、そこには、「思いもよらぬ」ものに打ちのめされる衝撃はない。しかし、世間はこの解決に対して快哉を叫んでいるんだよなあ。う~ん。
 ネット上では本作中の最高傑作と言われている『光る棺の中の白骨』に関してもちょっと“?”な部分がある。

(ネタバレ ↓)

 過去にあったアイデアを用いることは、当然ルール違反ではない。そもそも、そんなことを言い始めたら「密室トリック」とか「叙述トリック」なんか使えなくなってしまうしね。しかし、このトリックは、鮎川哲也の某短編(代表作)と同じものだ。だから、いけないと言っているのではない。ネット上で、本作をベタ褒めして、このトリックを称えている人は、それを知らないのだろうか。そこが凄く気になるのと、作中で四角い密室を「瓶」と呼ぶのだが、それは伏線というよりモロ、ネタバラシなんじゃないか。最後に「瓶」が登場したときに「おお! そうだったのか!」と叫ぶ人はいるんだろうか。

(ネタバレ ↑)

 あっと驚く事件なのに、あまりに等身大の解決。世間がそうしたミステリを支持するのは分からなくもない。バカミスに辟易したとき、バカ抜きのこうした端正なミステリは一服の清涼剤になるんだろう。しかし、わたしはミステリは清涼剤でなくたっていいと思っている。

ペガサス
『ペガサスと一角獣薬局』 柄刀一 光文社 2008


           朝日新聞書評委員(2009/03/06)



            蚊帳の外ですかそうですか

 3月4日の「裏モノ日記」にこんなことが書いてある。

 まだ発表は出来ないが、次期書評委員に、へえ、という人の名 あり。ちょっとニヤニヤする。この人とバッティングしなかった のはある意味(朝日にとって)よかったかも。

 おいおい。今頃知ったのかい? 1月25日のエントリ(世界バカミス☆アワードの打ち上げ)でこう書いたんだが、覚えているかな。

 朝日新聞書評委員に関して面白い情報を聞いた。サルコジ大統領は、若者に只で新聞を配って、新聞離れを回避しようとしているが、こちらのアイデアもそれに劣らないもの。どっちにせよ、「この書評委員は、読まずに書いてるんじゃないか」なんて低レベルな話題になるようではどうしようもないが。

 ま、確かに面白い試みだとは思うけど、「この人とバッティングしなかった のはある意味(朝日にとって)よかった」のは朝日にとってじゃなくて、アンタにとってだろうな。イロモノで存在感を主張しようとしてオオボケかましてしくじっていたが、バッティングなんかしていたら、注目すらされなかっただろう。

 しかし、そんな裏情報、今頃教えてもらって「まだ発表は出来ないが」なんて偉そうに書くなんて、ある意味哀れだよなあ。


           訂正・その他(2009/03/05)



         メールやネットで指摘されたこと等

 2月5日のエントリ、

 それも直ぐに分かる仕掛けだから(ネタばらしにはならないだろう)書いてしまうけれど、夢野久作の『瓶詰めの地獄』である。

 に関して、一通のメールを頂戴した。わたしの無知ぶりをあげつらう様な口調で、「夢野久作の作品は『瓶詰めの地獄』じゃなくて『瓶詰地獄』ですよ、先生。ちょっと調べれば分かることもしないで、よくまあ唐沢批判ができるもんだ」とある。まあ、ちょっと調べれば分かることだが、夢野久作のこの作品にはタイトルは二種類あるのね。戦前の初出誌『猟奇』を底本にしたものは『瓶詰の地獄』となっている。経緯は不詳だがその後の採録本には『瓶詰地獄』となっているものもある(言い回しなど、小さな差異があるらしいが未確認)。とにかく、わたしが読んだのは『瓶詰の地獄』(『瓶詰めの地獄』ではなかった。訂正します)なんで、そちらのタイトルを採用させてもらった次第。

 2月20日のエントリ、

 唐沢がなにを以って「オタク」と認めるのかは、今日なお不明だが、「リーブルなにわ」の「アニメ(ヤマト?)ファンクラブ」創設の誘いに遅れること2年(註:1978年)に創立された北大アニメ研を「すでに存在していたオタク=自分の先輩格」と看做すのはどう考えたっておかしいだろう。

 こう書いたところ、2ちゃんねるで、

36 :名無しのオプ:2009/02/27(金) 13:21:48 ID:/aEgk3i5
製作年度/ 作品名
不明/TRANCE スウォーム ダイナメ
1976(S51)/ JANBARAYA つぶす
しんちゃーん、
HALは1976の創作物があるそうだから、
設立はそれ以前と言う可能性は十分ありますよ?
唐沢叩くならきちんと裏とりましょ?
創立30年っていつ書かれた文章かわかんないし、
結構そうゆーのってアバウトなものなんじゃないかな?

37 :名無しのオプ:2009/02/27(金) 21:56:55 ID:Ry1BTQz9
日本語で

40 :名無しのオプ:2009/03/01(日) 00:19:27 ID:WCA+lxdK
>>36
わかりにくい書き方をしてるなぁ、補足してあげるよ
北海道大学アニメーション研究会の作品リスト http://circle.cc.hokudai.ac.jp/hal/works/allworks.html

41 :36:2009/03/02(月) 19:42:34 ID:pudpaZEk
>40 補足ありがとうございます。
しんちゃんにだけわかればいいと思ってたのでわかりにくくなってしまいましたね。
申し訳ございませんでした。


 という指摘を受けました。確かに40のレスに書かれたHALの活動記録を見ると1976年以前のもの(或いは1976年のもの)も含まれているので、20日のエントリに関しては「唐沢叩くならきちんと裏とりましょ? 」ということになります(なんで“?”なの)ので、訂正いたします。

 ※ 2ちゃんに関してはなぜかアク禁くらってて、ずっと書き込めないので、ここに書きました。悪しからず。


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