ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

            フラクション(2010/03/10)



         書き下ろし叙述トリックマンガ


            フラクション

 第三回世界バカミス☆アワード受賞作。
 前代未聞とはこのことだろう。マンガというメディアを駆使して「伏線」を極限まで張りまくる。しかも、作者自身が登場して、謎解きに参加してくるのだ。再読すれば、この伏線が、伏線どころが真相――解決編が本編になっていることが分かる。だからといって、画力ではなく説明文で成り立っているのではない。一枚の画が持つ力というものを、改めて思い知らされた。
 巻末(巻中だが、後半は短編集なので、『フラクション』の巻末である)霞流一との対談は、実は霞氏がゲラを読んだだけで、結末を知らぬままに行われた(霞氏本人がそう言っている)。そして、「叙述トリックっぽい感じ」と看破しているのだが、審査会の席上で「最後まで読んでいたら、とてもこんなこと引き受けなかった」と心情を吐露していた。それは充分に理解できる。
 物語は「連続輪切り魔(秀逸なネーミング!)」事件が発生している世田谷を舞台に展開する。なんかトラウマを抱えているっぽい青年が、勤め先の喫茶店で店員たちと事件の話をするのだが、これはもうあからさまに怪しい展開で、案の定こいつが「輪切り魔」だった(註;ネタバレではありません)。関係ないけど、輪切りってイカリングみたいに切ることなんじゃないのかな。この犯人は両断するだけ。勤務終了後、さっそく次の被害者を物色、手際よく輪切りにしてしまう。
 ところが、模倣犯が現れて、被害者のタイプも微妙に違う。誰かの罠かと、犯人は考えるのだが。模倣犯の正体が分からぬまま、喫茶店の同僚店員の女性、店長が次々に輪切りにされて――
 ここで、唐突に、作者の駕籠真太郎が登場し、女性編集者を相手に、マンガの特性を解説し始める。(ここからネタバレ)実はこの解説がそのまま事件の真相の解決編になっている。自作中に仕掛けられた数々の叙述トリックを懇切丁寧に説明していくのだが、それを真相に結びつけて読んだ読者は皆無だろう。ことほど左様に、この仕掛けは大成功しているのだ。(ここまで)
 しかし、これは全く私的な想いなんだが、あの京極夏彦の『姑獲鳥の夏』、初読のとき、てっきりこうしたトリックなんだろうと勘違いしたことがあったので、思わずぞっとした。マンガだったら、おれ的なオチもOKだったんだよな。
 おれは、最後に京極堂が関口に「人間とはありもしないものを見るかと思えば、そこに在るものが見えないこともあるのだ。たとえば、きみの足下に転がっている死体が、きみにはずっと見えていなかった」と解説すると思っていた。オチがなかったのは拍子抜けだったが、『フラクション』では駕籠真太郎が、そのパターンを完成してくれたわけだ。
 マンガでしか実現できない世界。そして、あらゆる叙述トリックを凌駕した大トリック。駕籠真太郎恐るべし。
 
 『フラクション』 駕籠真太郎 コアマガジン 2009


           都民に告ぐ(2010/03/08)


    
        気違い知事から、表現の自由を取り戻そう

  すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、2月24日に、東京都青少年健全育成条例の改正案が出され、その中に、「非実在青少年」(つまり実写でなく、マンガ・アニメ・ゲームに出てくる青少年)への規制が盛り込まれています。
これは、 「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」と規定されており、つまり設定が18才以上になっていても、「18歳以下に見えれば」ダメ、ということです。
 つまり、国の方で何度も改正(改悪)が話題に上りながらも、反対が多く先に進まないでいる「児童ポルノ法」における、「単純所持規制」(=とくに売買する意思を持っていなくとも、「児童ポルノにあたるもの」を単純に「持っている」だけで逮捕)、「マンガ・アニメ・ゲームその他、画像として描かれる青少年の姿にも児童ポルノ法を適用する」というもくろみを、都の条例で先に決め、規制してしまおうという法律です。
 なので、今のところ罰則はありませんが、「単純所持」も禁止されています。
 おまけに、上記に規定された意味での「児童ポルノ」(つまり非実在青少年を含む)の根絶に向けて努力し、都に協力するのが「都民の義務」と規定されています。

第十八条の六の四 何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する。
2 都民は、都が実施する児童ポルノの根絶に関する施策に協力するように努めるものとする。
3 都民は、青少年をみだりに性的対象として扱う風潮を助長すべきでないことについて理解を深め、青少年性的視覚描写物が青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するおそれがあることに留意し、青少年が容易にこれを閲覧又は観覧することのないように努めるものとする。

 これだけ読むと、青少年が読まないよう留意すればいいのかと思うかもしれませんが、成人が読むものもすべて、規制の対象になります。
都条例の改正案の全文は以下で読めます。
このうち、後半の、とくに赤で反転してあるところが重要な部分です。
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-cbc1.html

また、今日、いままさに行われている緊急集会のお知らせ
http://icc-japan.blogspot.com/2010/02/blog-post_27.html
も含め、この問題に関する基本情報をまとめたサイトは以下です。
http://mitb.bufsiz.jp/

「18歳以下に見える」とか、「不健全」とか、いくらでも恣意的に解釈できる条文の上に、これらの規制を推進しようとする都に対し、全面的に協力するのが「都民の義務」とするなど、これは戦前戦中のファシズムか? 「非国民」!とどこが違うの? と言いたくなるくらい問題のある法律なのですが、問題は、

今の状況だとほぼ間違いなく、この法律は通ってしまう!

ということです。
 そして、出版社のほとんどすべてが東京に集中している中で、この法律が通ることは、国の法律ができたのと同じ効果を持ちます。
 にもかかわらず、不思議なことに、ネットでも、マイミクさんの日記やMLでも、この問題はほとんどまともには話題になっていません。おそらく、あまりにもばかばかしい規定ゆえに「半笑い」的なコメントが多く、みんな「こんなばかばかしい規定、通るはずない、と思っているのだと思います。なぜかネットでも、個人のブログや痛いニュース以外に、信頼できるとされる一般メディア(新聞系のニュースなど)でこれを取り上げているところはないし、新聞でも報道されていないので、みんな冗談だと思っているのだと思います。
 けれど、繰り返しますが、

 今の状況だとほぼ間違いなく、この法律は通ってしまう!

 2月24日に案が発表されて、都民が意見が言えるのは25日まで(つまり1日だけ)。
 議会での質問が許されるのは3月4日(代表質問)・5日(一般質問)だけで、これも数日前には質問を提出していなければならない。(つまり議員でさえ、検討できるのは3日程度)
 で、18日の13:00の付託議案審査がもっとも重要で、今月末には投票、決定、ということになります。

 現在、都議会の会派は石原都政与党(自民、公明、平成維新の会)が62議席、石原都政野党(民主、生活者ネットワーク、共産、自治市民)が65議席という構成です。
 野党が全員反対にまわれば、否決できるのですが、今のところ、民主党内ですら、意見統一がとれていない。知人によれば、

①都議では野党の民主議員が全部法案可決に反対しても過半数に満たず、
民主自体もきれいに可決反対で意見がまとまっているわけではない。
②今回はこの法案はケイタイ・ネットに関する法案とセットで提出されており、
このケイタイ・ネット関係の法案はちょっと現段階ではあまりに穴がありすぎ、ほぼ通らない
ということになっていて、それが災いする可能性も高い。つまり二つあげたもののうち二つともが
否決されることは珍しく、ひとつを通さない代わりにひとつを通すということは議会ではよくある。
こうしたことから、この法案は何もしないでいると通る可能性が高いだろう」

ということです。
 けれど、先日、もう賛成を決めているからダメだろう…と言われていた、「生活者ネットワーク」の議員さんにヤマダさんたちと一緒にお話をしに行ってきたら、ちゃんと聞いてもらえた、という感触を持ちました。そして、この法案の危険性を訴えたのが、ほぼ私たちが初めてのようだったのが印象的でした。
 都議の方たちも、あまりにも現場から何も反対の声が上がってこないので、不思議に思う状況のようです。現場から反対の声があがらないとどうしようもない、との声も聞かれました。
 私もあまりにみんな騒いでいないので、半信半疑だったのですが、各方面に確かめても、「このままだと通る」ことは確実です。
 まだ間に合うかもしれません。広報の手段を持っている方は、この法案の危険性を、早く、広く、伝えていただければと思います。
 
 出典
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1430946730&owner_id=160185


           第三回世界バカミス☆アワード(2010/03/07)



            いってきましたよ

 というわけで、第三回世界バカミス☆アワードの選考会、表彰式、パーティにいってまいりました。

 バカミス
 壇上のメンバーは、左から
 杉江松恋さん、日下三蔵さん、倉阪鬼一郎さん、駕籠真太郎さん、川出正樹さん、小山正さん。さらに、ゲスト審査員として、霞流一さん、新保博久さん、鳥飼否宇さん、日暮雅通さん、宮脇孝雄さんという豪華な顔ぶれ。客席には千澤のり子さん、千街晶之さんの顔も。
 今回、最終候補に残ったのは、
 ドゥエイン・スウィアジンスキー『解雇手当』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
 ジョシュ・バゼル『死神を葬れ』(新潮文庫)
 飴村行『粘膜蜥蜴』(角川ホラー文庫)
 マット・ラフ『バッド・モンキーズ』(文藝春秋)
 駕籠真太郎『フラクション』(コアマガジン)
 倉阪鬼一郎『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』(講談社ノベルス)
 これまた、濃いラインナップですねえ。
 もう、お聞き及びの方もあろうかと思いますが、本年度は『フラクション』『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』の二作が同時受賞とあいなりました。おめでとうございます。
 パーティ

 場を移して行われたパーティ会場にて。左・駕籠真太郎さん、右・倉阪鬼一郎さん。
 両受賞者、霞流一さん、鳥飼否宇さん、千澤のり子さんともお話させていただきました。特に、駕籠真太郎さん、『倒壊』という作品にトンベリが出てくるので、ひょっとしたら、
「FFファンなんですか?」
 とお訊ねしたら、大当たり。30分くらい二人で、FFの話をしちまいました。7と10が好きで、10はインターナショナル版までやったとか(おれもだ)、13やりたいんだが、そうすると漫画を描く時間がなくなるので我慢してるとか。それに、バイオハザードも好きだがドラクエはやったことがないそうで、趣味が一致いたしました。
 皆さん、二次会、三次会とさらに呑んだとか。お元気ですねえ。
 
 フラクション
 『フラクション』 駕籠真太郎 コアマガジン 2009

 三崎
 『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』 倉阪鬼一郎 講談社 2009


         きのふの東京、けふの東京(2010/03/06)



           ぽかぽか陽気の散歩読書

           けふ

 川本三郎の新刊である。

 おれの中で川本の評価というのは、時とともに随分変わったなあ。<『脇役グラフィティ』や『スキ・スキ・バン・バン』の時代は、映画に詳しい兄ちゃん程度の認識だったが、都立青山高校時代、全共闘だった同僚から、あの自衛隊員刺殺事件の顛末を聞いたときは、良くも悪くも世間知らずの坊ちゃんなのだなあと思ったりもした。映画評論では、駄作『血と骨』をベタ褒めしたりして、見限ってしまったのだが、あの大著『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』には打ちのめされ、町歩きの達人として、仰ぎ見る存在となった。

 『きのふの東京、けふの東京』(平凡社)は、その達人の技が充分に味わえる傑作。赤坂の書店で購い、赤坂 → 保谷の地下鉄で、280頁をあっと言う間に読んでしまった。ずっと酒はたしなむ程度の方かとも思っていたのに、ビール主義ではあるものの、四つ木の「ゑびす」なんかをしっかり抑えていて、文字通り足を使って得た情報は本物だよなあと感激した。感激したが、ああ、勿体無い。もっと、ゆっくり読めばよかった。

            町歩き

 そんなわけで、昨日は久しぶりに『東京の空の下、今日も町歩き』(講談社 2003)を読み返してみた。昨年保谷に引っ越してきたので、練馬周辺をたどり直すのもよいかなと閲していたら、こんな一文にぶち当たった。P.103

 東上線に乗ってときわ台にもどる。
 実は、昼にここを歩いた時に、いい店を見つけておいた。駅に接したそば屋である。立ち食いそば屋を少し大きくしたような、変りばえのしない店だが、夜は、居酒屋になる。
 外から覗くと、壁に品書きが沢山張ってあるのが気に入った。いい居酒屋の条件は「品書きが多いこと」と決めている。なかに入るとテーブル席が十足らず。どの席も勤め帰りのサラリーマンでいっぱい。なんとかつめて、もぐりこませてもらう。


 どうです。そそるでしょう。しかし、ときわ台にこんな店あったかしら。ときわ台周辺なんかどのくらい歩いたか分からないくらい。おかしいなあ、と思いつつ、早速地下鉄を小竹向原で降りて、ときわ台を目指して歩く。「駅に接した」とあるから迷うこともあるまいと、30分も歩き、いよいよときわ台が近付いてきたとき、突如、あっと思い当たった。
 そうか。あの店のことか。川本の文章から、古風な木造家屋、厨房の窓からは線路が見える荒屋(あばらや)を想像しちまったんだが、全然違うのね。そう、改札を出て直ぐ右にある小奇麗な店だ。あそこなら、何十回もいってるじゃないか。
 そうそう、この店。大分、文章の印象と違うよね。

 あづま家

 あづま家
 ん。店頭が随分こざっぱりしてるな。暖簾も出ておらず、お休みかいなと覗いたら、作業服姿の男が数人、忙しそうに働いている。「改装」との断わりもないので、つぶれたようだ。
 嗚呼!

 上板橋まで歩き、昼からやってる「船底」という店に入る。

 船底

 ビールとホッピー。煮込みも注文。昼は3時までだけど、いつまでいてもいいよ、と有難いお言葉。
 さらに歩き、古書店で古本を購う。

『常芳庵飛徒記』 堤清七 1961 私家本
『虚空の風車』 シゲル・ヨシダ 1976 太陽
『さらば甘き口づけ』 1985 ジェームズ・クラムリー 小泉喜美子 早川書房

 林屋

  林屋書店均一棚。3冊で200円。

 『きのふの東京、けふの東京』 川本三郎 平凡社 2009
 『東京の空の下、今日も町歩き』 川本三郎 講談社 2003


          幽霊を捕らえようとした科学者たち(2010/02/25)



            オカルトという言葉の魔力

             幽霊


 『心霊の世界』(ロイ・ステマン 楠田順 訳 1977)を読んだのは三十年以上前のこと。降霊会とか霊媒とかがブームになった時代があり、アーサー・コナン・ドイルやウィリアム・クルックスといった著名人が、それらにコロっと騙され、なんとなくそう思い込んでいたのは、この本の影響でもあるだろう。その後続々登場してくる、オカルトを科学的に解説するといった科学者、橋本健、猪俣修二、井口和基、町好雄、あるいは批判的立場の大槻義彦なんて面々が、呆れるほどの「トンデモ」だったこともあり、オカルトを研究する科学者なんてろくなもんじゃないと、ずっと思い込んでいた。と学会の影響もあったしね。
 そうした批判的な立場から書かれた本なのだろう、漠然とそう思って本書を手に取ったのだが、全然そうではなかった。
 著者はデボラ・ブラムはウィスコンシン大学の科学ジャーナリズム論教授、1992年“The Monkey Wars(邦題『なぜサルを殺すのか』)”でピューリッツァー賞を受けた女性である。
 ハーヴァード大学教授だった、ウィリアム・ジェイムズがアメリカ心霊学会を立ち上げ、心霊研究に没頭する日々を描いた本書に登場する研究者は、ケンブリッジ大学のヘンリー・シジウィック、フレデリック・マイヤーズ、エドマンド・ガーニー。さらに、それに賛同する立場の、アルフレッド・ラッセル・ウォレス、ウィリアム・クルックス、ジョン・ストラット(レイリー卿)、アーサー・コナン・ドイル、マーク・トウェイン、ウィリアム・バレット、オリバー・ロッジ、シャルル・リシェ、マリー・キュリー、チェーザレ・ロンブローゾという、超一流の科学者、作家、そして、批判的な立場にはマイケル・ファラデー、チャールズ・ダーウィン、トマス・ヘンリー・ハクスリー、ジョン・ティンダル、トマス・エジソンといった、これまたオールスターが揃っていた。
 研究対象となった、霊媒たちも半端ではない。フォックス姉妹、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキー、ダニエル・ダングラス・ヒューム、レオノーラ・エヴェリーナ・パイパー、エウサピア・パラディーノというビッグネームが並ぶ。
 オカルト論争というと、霊能力者、奇術師とか学者が罵り合うタケシの番組を頭に浮べてしまうけど、文化の深度というか民度というか、そんな安っぽいものとは全然違う(面子を見りゃ分かるだろうけど)。
 膨大な科学的な検証の末、導き出された結論は――
 さて、ここからは、おれの独断である。
 総ては、言葉がいけないのだ。例えば「命」。日頃当たり前のように使っている言葉。共通の認識としては、今更疑うなんて思いもしないだろうが、「命」ってなんですか? いや「心」だってそうだ。「絶対」とか「永遠」とか理解不能な概念に、そうした言葉を与えて、おれたちはなんとか体裁をつけているだけなのではないのだろうか。
 本書で取り上げらる数多くの不可解な心霊現象だって、「心霊現象」なんて言葉を纏わせて、分かった気になっているだけなのだ。科学者たちは「死後の存在」について真剣に議論するが、それがただの言葉だということには気付いていないのだよなあ。
 偉そうだけど。
『幽霊を捕らえようとした科学者たち』 デボラ・ブラム 鈴木恵 訳 文春文庫 2010


              本格ミステリ大賞(2010/02/17)



        第10回「本格ミステリ大賞」候補作決定

【小説部門】候補作(タイトル50音順)
『Another』綾辻行人(角川書店)
『追想五断章』米澤穂信(集英社)
『花窗玻璃』深水黎一郎(講談社)
『密室殺人ゲーム2.0』歌野省吾(講談社)
『水魑の如き沈むもの』三津田信三(原書房)

【評論・研究部門】候補作(タイトル50音順)
『アジア本格リーグ』島田荘司選【出版企画に対して】(講談社)
『英文学の地下水脈』小森健太郎(東京創元社)
『戦前戦後異端文学論』谷口基(新展社)
『都筑道夫ポケミス全解説』小森収編集(フリースタイル)
『ミステリ・ジョッキー2』綾辻行人・有栖川有栖(講談社)

 決定は、5月15日です。


            FF13ネタバレ感想(2010/01/24)



          単純すぎるストーリの複雑すぎる設定


           FF13

 う~ん。
 これ、ファイナル・ファンタジーってタイトルでなければ、そこそこの評価が得られるゲームだとは思えるんだけど。
 もう、amazonなんかで散々言い尽くされているんで、今更って気がしないではないんだが、おれなりの感想を書いてみようか。
 とにかく、設定が複雑すぎて、しかも面白くない。これが総て。頭が痛くなるような設定(入り組んでいるのではなく、破綻し捲くっている)なのに、ストーリーは異様に単純と言うジレンマ。結局、これらが最後まで払拭出来なかった。
 FF10(おれ的には最高傑作)も複雑な設定を基盤にして進行するゲームだったし、冒頭サッズ(黒人のおっさんキャラ)がライトニング(女性兵士=主人公キャラ)の戦闘に巻き込まれる辺りは、FF10で主人公のティーダが謎の剣士アーロンの戦闘に無理矢理引きずり込まれるという設定もよく似ている。ところが、両者の決定的な違い(それはFF13の大きな欠点でもあるのだが)は、ティーダがゲームをやっている人間と同レベルの情報しか持っていなくて、ゲームの進行に従って徐々に謎が解けていくのに対し、FF13では登場人物は謎を抱えているものの、その世界の設定は十分に理解しているというところにある。なんせ「コクーンのファルシがパルシのルシをパージする」なんて言葉が、登場人物には100%理解できているのに(暗号ではない)、ゲームをやっている俺にはちんぷんかんぷんのまま進行していくのだ。
 なんとか理解できたのは後半になってから。コクーンは理想郷。パルシは魔物が支配する「下界」。ファルシは人間より上位の存在で、コクーンを繁栄させている。一方、パルシにもファルシが存在し、そいつらが、コクーンの人間をルシ(下界の先兵)に変えてしまう。コクーンはルシを捕らえてパルシに追放(=パージ)しようとする。ルシにされてしまった5人は、裏に隠された野望を感じ、コクーンを守るために闘う決意をする。
 ところが、見かけのストーリーは単に、魔物と兵士を相手に、5人が戦うだけ。それも全13章の物語で、10章までは一本道を走っては敵に遭い走っては敵に遭い。さらに、ルシに与えられた使命はコクーンを滅ぼすことで、それが達成できない場合はシ骸と呼ばれる異形のゾンビに変えられてしまうのだ。さらに、見事使命を達成した場合は、なんとクリスタルに変貌し、そのまま永遠の存在になる。どっちも嫌だが、どうすりゃいいの。それでも無意味な戦いは続く。4、5、6章なんて、本当にただ闘っているだけで、ストーリーには関係がないのね。
 とにかく設定が言葉で語られるだけだから、傍から見たら延々と戦いが続いているだけ。裏道でおっさんが喧嘩してるのを、「銀河系の存亡をかけた戦闘」としているようなものだ。それなりの舞台、それなりのキャラにしてくれなくては、納得いかないよね。
 ストーリーはそのまま進行し、実はファルシも神ではなく、神に見捨てられた存在で、コクーンを滅ぼせば神が救いに現れるだろうという、よく分からん計画に翻弄されていたと分かるのが、最後になって。そんな、挑発に乗るか! といいながらコクーンの守護神オーファンを倒しちまう。当然、コクーンは崩壊するが奇跡が起こって――エンドって、おいおい。
 悲壮で美しい、あのエンディングの画像に収束するように、遡ってストーリーを考えたんじゃろか。サラとオッジの能天気なツーショットが、ハッピーエンドのシンボルなら、バニラとファングのツーショットは? あれでいいの?
 クリア後、レベルが上がって、いま種々のミッションに挑戦しているんだが、けなげに戦っているバニラが不憫で不憫で。

 FF12が旧システムで思い切り自由度を上げたのに比べて、本作は新システムながら進化は逆戻り。次作(いつになるのかしら)に期待かな。
 『ファイナル・ファンタジーⅩⅢ』 スクエア・エニックス 2009


            大日本古文書(2010/01/19)



               希覯本?


           古文書

 すみません、未読です。『天地明察』の影響ではないが、もっと自分の国の足許を見直さねばなんて殊勝なことを考えて。なんてね。某古書店で均一棚に並んでいたので気楽に買っただけです。読む前に、これはどのような本なのか、ネットで検索したら、
『大日本古文書 「家わけ文書10」内の「東寺文書」第14冊』
 東京大学史料編纂所 2006

 リンク先のamazonを良く見ていただきたい。

 ¥ 1,047,306


              天地明察(2010/01/10)



           まことに不可思議な勝負のお話


            天地

 うーん。なんと言ったらいいのかしら。むろんこの物語はとても面白いし、知的な好奇心を大いにくすぐってもくれる。しかし、これは一体なんの物語なのだろう。最初に書店の店頭で見つけたときから、読了した今に至るまで、そのとらえどころのない印象は変わらないのだ。
『天地明察』という奇妙だけれど魅力的なタイトルに惹かれて、ふと手を伸ばしかけて、そのままフリーズしちまったのは、沖方丁という著者名に気付いたからだった。あの傑作SF『マルドゥック・スクランブル』の著者が、一体なにを書いたのかと、ページをパラパラやって驚いた。なんと時代小説。とあれば、真っ先に思い浮かんだのは、あの山田風太郎を数層倍SFチックにしたものだろう、と腰巻の惹句も読まず(おれは本には書店のカバーは着けないし、腰巻、はがき、チラシの類はすぐに捨ててしまう)勝手に納得して、早速地下鉄の中で読み始めた。
 なんとまあ、算術と暦のお話でありました。主人公は渋川春海(本名、安井算哲)という将軍家お抱えの碁打である。恥ずかしながら、実在の人物であるこのお方の名前全然知らなかった。いや、ここに登場する、いずれも型破りな神道家、算術家、暦研究家、浅学菲才のわたくしには未知の人ばかり。辛うじて知っていたのは、もう一人の主人公ともいうべき関孝和と名前だけ出てくる山鹿素行くらい。それも関孝和は和算の学者で、せいぜい算盤で四則演算をしていたんだろう程度の認識、山鹿素行に至っては、本書で初めて赤穂藩の軍学者だったことを知って、あの忠臣蔵の山鹿流の陣太鼓の山鹿はそういうことだったのかと納得したほどの無知のです(山鹿流の陣太鼓は劇作上のフィクションだが)。
 さて、史実に基いた本書には、派手な剣術の果し合いなど一切なく、ここで繰り広げられるのは、算術、囲碁、暦の果し合いなのだ。それが、文字通り手に汗握るほどの緊張感を生んでいるのだが、一つ残念なのは、設問がありながら解答が示されていないこと(厳密に言うと解法)。これは、剣術の試合なら、刀を抜いて対峙し、次の瞬間にはどちらかが倒れているといった描写の繰り返しのようなものだ。いや、書かれていたっておれみたいな門外漢には分からないのだろうけれど。
 フェルマーの定理、四色問題といった数学史上の難問が解かれるさまが、一般向けの書籍として出版され、ファンも多いときに、ちょっとこの扱いはそっけないんじゃないかしら。冒頭の三角形に内接する円の問題なんか、ちょっとエレガントな解法がありそうなのに。それから、主人公の周囲の人間が、同僚、上司、ライバルに至るまで、皆主人公に好意的なのもちょっと拍子抜け。酒井雅楽頭や水戸光圀(マッチョなグルメに描かれている)といった一癖も二癖もある連中までも、なぜか春海には味方してくれる。
 いや、「天地明察」、天の運行を詳らかにして正確な暦を作成するという、大事を前にしたら、人間関係なんて些細なものなのかも知れないけど。そのせいか、魅力的な人物があっさり死んでしまったりするのはちょっとショックだった。
 大仏建立だって江戸城の築城だって、数学がなければ成り立たない、況や太陽と地球、月の関係の解明に於いておや。先達の優れた業績に目を開かせてもらった。これが本書の(おれにとっては)最大の功績だろう。
 結局、天は長く地は久しく、人はつかの間の存在。それを描いたお話なんだろうか。うむ。
『天地明察』 沖方丁 角川書店 2009


      2009年 唐沢俊一 10大ニュース(2010/01/01)



          ブログにも書いたんですが。

1、kensyouhan著『唐沢俊一検証VOL.1 盗用篇』が完成、夏コミで直接贈呈される。また、本書の書評が『映画秘宝』に掲載される。
 当日、kensyouhanブースを訪れた主な方々(敬称略)
 大野典宏、漫棚通信、知泉、伊藤剛、昼間たかし、永山薫、古賀、倉知淳、竹熊健太郎。藤岡真
2、ジュンク堂で開催予定だったトークイベントをドタキャン。そのまま緊急入院するも、入院の段取り、治療法などに疑問多々あり、仮病説もでる。また、退院した日から大酒を飲んだと日記に書き、似非無頼派を気取ったところも。
3、身内からの造反、批判が相次ぐ。
 「トンデモ本大賞」のイベントで、著作を「トンデモ」と認定された大内明日香が造反(その後、和解?)、また山本弘「と学会」会長が、唐沢の度重なる盗用に切れて、会合への参加、「トンデモ」を冠した著作の出版休止等のペナルティを課すが、植木不等式(退会)、藤倉珊の反対により撤回した。さらに、唐沢とも付き合いの長い、編集者、額田久徳は唐沢の盗作問題を同業者に問う行動に出る。
4、初のビジネス書『博覧強記の仕事術』を上梓。博覧強記の意味を間違えた所からスタートしている、出版事故的ビジネス書。
5、青山学院大学卒業の疑問が再燃
 学食に関して書かれたエッセイが事実とは違うことに、卒業生から多くの意見が寄せられる。また、青学入学当時に「親に勝手に大学を休学した」と日記に書いていることが判明、東北薬科大学のみならず、青学も中退したのではとの疑問が再燃した。
6、唐沢俊一検証がさらに充実。
 新たに松沢呉一、宅八郎、岸田裁月が参入。mixiに検証コミュも立ち上がる。さらに、「カラシュンの食卓」「唐沢俊一P&G博覧会」といった新サイトも。
7、自分が本当にやりたいのは「芝居」であると告白。しかし、日記では「酔って舞台に上がった」「出番の少ない芝居なので切符を売る気がない」「すっぽり台詞を抜かした」等、思い上がった態度を自慢、ついには「あぁルナティックシアター」について「ユルユルのコメディばかりやっている劇団」とし、そんな劇団に関わっているのが恥ずかしいとまで発言した。座長橋沢進一との関係が危うくなったのか、橋沢の誕生日に見え見えのヨイショを日記に長文で書き、失笑を買う。
8、単行本ばかりでなく、雑誌連載中の記事にもP&G続出を検証される。
9、忌野清志郎、加藤和彦の訃報に接して、無茶苦茶な追悼文を書き、心ある人々の怒りを買う。
10、死体遺棄容疑で逮捕された、市橋達也に対しての異常とも思える愛情を吐露。ああやっぱりと世人を頷かせる。
次点、快楽亭ブラックのblogにより、唐沢が出演している寄席落語会が不入り不評であることが露見する。
付記:『唐沢俊一検証本VOL.2-ガセビア編-』、『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』が冬コミにて販売される。

 その他にも、三越のイベントが客が集まらずに中止になったとか、唐沢なをきが『まんが極道』で再びパクリをネタにして、よしこ夫人が「パクリネタは好評なのでまだまだ描く」と宣言したり、枚挙に暇はありません。
 


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