ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

             星屑ニーナ(2012/05/01)



            “星屑”という名の神




 星屑星屑2

 星屑は単三電池で動く人型ロボットだ。
 一旦電池が切れてしまうと、それまでの記憶は総て消滅してしまう。だから、ご主人様を見つけて電池を供給してもらわなければならない。持ち主に捨てられ、後三十秒で電池が切れちゃうという危機に瀕して、星屑はなんとか猿のオモチャ(シンバルを叩く猿ね)から電池を見つけ出して、記憶喪失の危機を脱した。
 ニーナは素敵に可愛い元気な少女。宇宙雷魚(魚雷じゃないよ)という、宙を泳ぐ巨大雷魚を追いかけている内に、誤って雷魚に飲み込まれてしまう。なんとか脱出に成功して疲弊した体を引きずって歩いていて、再び廃棄された星屑と遭遇した。
 ご主人様にはならないけど先生になってやろう。
 かくして、星屑とニーナの素敵なコンビが結成されたのだが。

 ニーナは死んでしまう。
 え? 事故で? 病気で?
 いやいや、ニーナは天寿を全うして死んだのだった。
 そう、ロボット星屑は電池が切れない限り死にはしないが、人間は寿命が尽きれば死んでしまう。この至極当たり前な設定が、なんともいえない幽き雰囲気を醸し出しているんですねえ。

 星屑は新たなパートナーとまた新たな生活を始める。
 でも、電池が切れない限りニーナは星屑の中で永遠に生きているのだ。そして、新たな主人である少年もニーナの幻に恋をして――

 ペットショップのオーナーとか宇宙雷魚とか謎はまだ全然解けていない。これからの展開が愉しみなんてもんじゃない。

 GWにちょっと幸福な気分になりたかったら是非ご一読を。
 単行本既刊は二巻。現在『Fellows!』(エンターブレイン)に連載中。

 『星屑ニーナ』福島聡 エンターブレイン 2010・2011


             休みの国(2012/04/18)



               先見の明

    
           らも


 四時に目をさましてしまったので、布団の中でゴロゴロしながら、伸ばした手に触れた本を戯れに読んでおった。鬱病の初期症状であるな。
 で、むりやりこじつけるわけではないが、その本は中島らものエッセイなのであった。中島らもは同年代(おれが一つ上)、アル中でコピーライターで大阪の広告界で一時禄を食んでいたという共通点もあり、敬愛する作家であった。といっても、おれには芝居もロックバンドも自分でやるだけの才能も根性もなかったから、似ているところばかりではないんだけどね。さらに言えば、実は『今夜、すベてのバーで』以前は、浅薄と偽悪が鼻について大嫌いだったのだが、この一作で大フアンになっちまったのだ。
 鬱病になったとか、酒をやめたとか、直木賞の候補になったとか話題にはこと欠かなかったし、「11PM」(こういうナイト番組があったのだ)の時事クイズの回答者で、司会の島田紳助に誤答をからかわれたとき、不貞腐れたような笑みを浮かべながら「ほな紳助くん。漢字の書き取りテストやろうや」と挑発したのは見事だったね(思えば今のクイズ番組の先取りだし)。高校中退の紳助に灘高卒のらもちゃんがチクリとやリ返したってことだものなあ(誤答に「あ、す、すいません……」という返事しかできなかった馬鹿とは大違いだ。比べてごめん)。
 その後、らもちゃんは酔って階段から転落死してしまった。今、著者のプロフィールを見たら、既に8年前のことで、まだ52歳(!)だったんだよなあ。

 閑話休題。

 本書は、今から9年前に出版された、巷にあふれる「◯◯の日」に突っ込みを入れる痛快エッセイなのだ。先月、日テレのZIPで「待ち合わせの時間がいい加減になったのは携帯電話が普及したから」と分析していたが、なんとらもちゃんは、9年前に喫茶店が斜陽になったのは、携帯電話のせいだと看破していた。

 4月13日喫茶店の日
 今、喫茶店業界が全体的にピンチだという。それにはハッキリした原因があって、携帯電話の躍進がその元凶なのだ。
 昔は、とも子ちゃんと待合わせするのに、まずとも子ちゃんとアポをとる。
「駅前の原田歯科医院の隣の『名曲喫茶モーツァルト』ね」
 それでわれわれのアポイントメントは成立した。
 それが、いまでは『名曲喫茶モーツァルト』の部分がずぼんと消失してしまっているのである。皆が皆、路上で邂逅する。
「今尼崎駅に着いたんだけど」
「だっさい駅ねぇ。わたしは今、西口にいるんだけど、どっちへ進めばいいの。きゃっ、驚かさないでよもう」
 この出会いの中には、喫茶店の介在する余地はない。
 携帯に敗れた喫茶店たちは、パタリパタリと倒れていった。


 この調子で「4月3日 バカの日」「12月20日シーラカンスの日」「1月3日 かけおちの日」「7月2日 蛸の日」「9月9日 男色の日」「10月15日 女人禁制破りの日」などと(あくまでも抜粋)、抱腹絶倒の紹介が続くのだが、この10月15日なんか、

 10月15日 女人禁制破りの日
 ただ、以前永平寺を訪れたときのこと、ここでは鉄筋十階建てくらいのビルがあって、そのなかに何百人という若僧(引用者註:若い僧侶の意)が寮生活をして修行をしている。
 なるほど、ここには女性の影はない。大変だろうなと思って一階に立っていると、エレベーターの扉が開いて何人かの若僧がげらげら笑いながらもつれあって出てきた。見るとそれは「ちんこの揉み合い」をして笑っているのだった。

(強調引用者)
 
 凄えなあ、永平寺からなんか言われなかったのか。
 で、読み進めるうちに、もの凄い一節を見つけてしまったのだ。

 10月22日 平安遷都の日
 ここ四百年、遷都は一度もなされていない。そして、ここにいたって、遷都するべきではないかという声も挙がっている。なぜなら、東海大地震が間近に迫っているからだ。それは明日かもしれないし十年後かもしれない。はっきり期日を予測することはできないのだが、プレートの動きから見て近い将来であることは間違いない。
 この太平洋プレートとフィリピン海プレートのきしみの接点は、静岡県の浜岡という町である。この浜岡には原子力発電所があって、一号炉から四号炉までが稼働している。そしてさらに五号炉目が建設中である。
 これは気狂い沙汰だ。風水師は原発なんてものの存在は予測していなかったろうから、関東の都を定めたのだ。
 浜岡原発の一号炉、二号炉は古くなってもうヨレヨレである。どのくらいガタがきているかは調べられない。なかに入って調べれば被曝してしまうからである。炉を止めて調べる定検が年に一回あるがこれもいい加減なものだ。三号炉、四号炉では数百のヒビ割れが発見されている。
 今、もしマグニチュード八の地震が起きたら浜岡原発は全壊する。これは超巨大な中性子爆弾が爆発したのと同じことで、東京から福島までのニンゲンはみんな中性子を浴びる。
 浜岡ではたくさんの四ツ葉のクローバーが生えている。幸せの印ではない。原発が出している放射能による染色体異常である。
 東京(国)は遷都するか、さもなくばすべての原子炉を作動停止するか、どちらかを選ばなければならないだろう。


 うーむ。
 この時代にこんな主張をしていた人間がいただろうか。おれも、セセラ笑いながら読んでいたのだと思う。
 政府は原発の再稼働をちゃくちゃくと進めている。泉界に先に逝っちまったらもちゃんは、ここでも先見の明があったってことなんだろうか。

 『休みの国』 
中島らも 講談社 2003


            定型夢は崩壊するか(2012/03/25)



     夢


 わたしは正式に心理学を学んだわけではないので、細かい(或いは大きな)間違いはいくつかあると思う。そのつもりで読んでいただけたらありがたい。

 フロイトによれば、夢には定型夢というものがあり、特定のパターンの夢を誰もが見るというのだ。以下、思いつくままに例を挙げてみよう(フロイトの分類ではないので、そこのところはよろしく)。

●トイレを探して困惑する夢
 一般的である。トイレを探すのだが、どこも満員とか、個室のドアがないとか、異様に広い個室で他人が何人もいるとか、便器が壊れているとか、汚れているとか、とにかく用を足すことができない。無事、用が足せてしまったら、それはそれで偉いことになるんだろうが。

●裸で困惑する夢
 恥ずかしいのだが、その感覚がちょっと普通の感覚ではない。通常なら羞恥心、わたしなんか露出狂だからむしろ喜ぶべき状況なのだが、これは、「他人と違う様で困惑する」という感覚なのね。全裸の場合は少なく、下半身丸出しとか、パジャマ姿とか、靴を履き忘れて裸足とか、「仲間はずれ」状態に困惑する夢。

●卒業試験が迫り困惑する夢
 実は大学の卒業試験を受けていない。従って現在務めている会社には、本来入社資格がないのだ。ばれたら馘首される。試験が近づいているが、わたしなんか専攻が物性物理学(気体放電現象)だから、今、そんな勉強ができるはずもない。
 これには付随する定型夢があり、久しぶりに学校(大学ではない)にいくのだが、時間割がわからないため教科書も違うし、二時限目は体育だが体育なんてもう何年も受けていないから、今更受けたって落第に決まっていると、早々にサボりを決め込むというパターンである。これがエスカレートすると、通学電車に乗る前にもうギブアップしたりする。
 卒業試験の夢の場合、覚めてから、ああおれはちゃんと大学は卒業したのだから、なんの心配もないのだと、その度にほっとする。もっとも、会社を退職したら、この手の夢は見なくなった。

●劣化する夢
     
     U

 筒井康隆が、フィリップ・K・ディックの『ユービック』を紹介するとき、ここに描がれた「劣化」に感動していたような記憶がある。多分、筒井さんも同様の夢を見るのではないか。
 例えば黒塗りのスポーツカーに乗る。するすると発進させ、ハンドルを切ると都会の舗装道路を走っていたはずなのだが、田舎のでこぼこ道(田舎といっても石神井川脇といったようなチマチマした田舎である)をのろのろ走っている。そのうち、自転車歩行者にも追い抜かれ、必死でアクセルを踏むが一向にスピードアップしない。やむなく、クラッチとアクセルを交互に踏むと、キコキコと足こぎ車になるのだが、それもしんどいので車から降りると、車は幼児用の玩具の車になっている(驚きはしない)。
 この定型夢にはK-1のリングに上がったはずなのに、空き地のリングで客も数人、相手もいないとか、政治家となって数万の聴衆に対して演説するはずが、公民館の教壇の上に立って話しているとか、色々残念な劣化パターンがある。

 こんな夢見たことありませんか?

 で、本日のテーマは、パターンの崩壊なんでありますね。

 先日見た夢、巨大ショッピングモールのトイレに入る。ま新しくピカピカのトイレである。そして、わたしはこれは夢だなとわかっているため、用を足そうと必死になっているわけでもない。ふと周囲を見ると、数人の男が、切迫した表情でいききしている。おやおや、この人達は全員夢を見ているのだな。覚めてからゆっくりトイレにいけばいいのに、すっかり困惑して焦っている。お気の毒に。ほら、そこは鍵が壊れている。そこは隣との仕切りがない。ドアのない個室で便器に腰を下ろした男が、恨めしそうにこちらを見ている。
 わたしは余裕で辺りを見回し、ほくそ笑むのですね。
 
 こうした掟破りの夢は、覚めてから思い出してもしばらく愉しい。


     『月刊空手道4月号』心拳誠道 空手道拳道会(2012/02/27)



           
           空手道


 おお、今月号は、わが拳道会の「試割」&「部位鍛錬」の特集であります。


 石山主席師範の寸勁から鳩山師範、吉富師範の試割。

 そして、月山師範のブロック割。

  月山

 なんと、延々、カラーページ23頁で特集されております。

 また月山師範、李師範による対人の演武、夏川師範の部位鍛錬等、貴重な画像が数々掲載されています。

 表紙は夏川師範のブロック3枚割。間に何も挟まずに、3枚を粉砕するのが、どれほど大変なことかは空手関係者ならお分かりだと思います。

 池袋本部道場塾頭として一言。
「これでまた入門希望者が減るんじゃないか?」 

 ↑だって怖そうなんだもん。

 ええ、皆さん、ぜんぜんそんなことないですよ。ぜひ見学に来てください。

 空手道拳道会池袋本部道場。


       銀河盗賊ビリイ・アレグロ(2012/01/25)



              見果てぬ夢


           アレグロ

 年に一度見るか見ないかという夢がある。

 フロイトの言う定型夢ではない。
 トイレを探してバタバタする夢とか、卒業試験が迫っているのになんの準備もしていなくてうろたえる夢とか、公衆の面前で裸(裸足とかズボンを穿き忘れたとか程度は色々)で困惑する夢とか、そういうんじゃなくて。

 一つは異様に鮮明な夢で、これはもう自分でも夢と分かっている。空は明るい群青色、真夏(多分)の都市に、巨大な建造物がある。これが見るからにFFに登場する風景。特にFF10-2の「やどりぎの塔」なんて同じ夢を見たデザイナーの作品かと思っちまった(今もそう思っている)。

 おっと、今回はそれとは違うパターン。
 醒めたときに、具体的な内容はすっかり忘れてしまっている夢なのだ。しかも、醒めるのが悔しくて、なんとか手を伸ばして夢の世界に留まろうとするのだが、空しく現に戻ってしまう。
 ところが、具体的にどんな夢か全く覚えていないのに、そのことがしばらく忘れられないくらいに懐かしい。フラッシュバック的に思い出すのは、ヨーロッパの片田舎のひと夏の出来事だったり、地沸き肉踊る冒険譚だったり。

 本作は、まさのそんな想いを寄せられる冒険譚。
 七つの銀河を駆ける盗賊、ビリイ・アレグロ・ラトロデクトス・ナルセと相棒の超能力黒蛇ダイジャの物語。

 恥を偲んで書く。
 表紙買いして、31年。昨日まで読んでいませんでした。

 なんか、都筑道夫がスター・ウォーズブームに便乗して書いたように思えて(すみません)、ずっと敬遠していたのです。
 それが、再び「表紙」読みして――

 いやあ、なんで今まで読まなかったんだろう。まさにあの忘れてしまった素敵な夢。血沸き肉踊るスペースアクションドラマ。しかも、本格ミステリが仕込まれているのです。

 それが、たった6話で完結なんて。
 もっともっともっともっと読みたい。

 たらればが許されるなら、この作品が「ラノベ」で発表されていたとしたら。

 コミック化、アニメ化で、数千万部の大ベストセラーになって、ハリウッドで実写映画化まで発展したでしょう。

 だから、わずか、6話完結のこの短編集は、珠玉の宝石なんです。

 今更ですが、未読の方は、どうか入手してお読みください。

 でないと、人生で、大損しまっせ。

 『銀河盗賊ビリイ・アレグロ』 都筑道夫 徳間書店 1981

 ※ 書影は集英社文庫版(1983)


       美味い話にゃ肴あり7(2012/01/18)



          永劫に回帰しない


  肴

 『酒のほそ道』でおなじみの、ラズウェル・細木の「酔庵」シリーズ最新作です。

 過去、6巻、舞台は毎回居酒屋「酔庵」(例外的に、海の家とか花見会場)に集う酔客とマスター、バイトのミカちゃんというご安心の設定。薀蓄を語るわけでもなく、感動ドラマがあるわけでもないのに、なんだか自分が酔客の一人になった気分になれて、大変心地よい漫画なのですね。
 わたしのPCの接続がトロイときとか、再起動をかけたとき、ほんの数分の暇つぶし用に、このシリーズはPCの直ぐ脇の置かれている。だから、一日に何度も読みなおしているのに読み飽きない。それが、新刊とあればもうこれは至上の喜びです。
 と、期待に震えながらページを開いたのですが。

 びっくりしたな、もう!

 こんな展開になろうとは、誰が想像しただろうか。

 ミカちゃんが気に入らない客を怒鳴り飛ばして追い出すとか、マスターが気に入らない客を怒鳴り飛ばして追い出すとか、これまでの「酔庵」では考えられないような展開。

 しかも、200話の記念的回では、あの『風流つまみ道場』の錦之助と恵梨華、『酒のほそ道』の宗達、かすみ、海老沢、『魚心あれば酒心』の坂菜夫妻とか、豪華キャストが登場。

 そして、なにより、そんなサプライズなんて吹っ飛ぶ、物凄い展開が待っているのです。
 刺激が欲しいあなた、必読です。

 凄いですよ、ホント!

 『美味い話にゃ肴あり7』 ラズウェル・細木 (ぶんか社) 2012


         FF13-2(2011/12/23)



          な、なんじゃこりゃあ!

 
        ff13-2


 20時間ほどで全クリいたしました。

 いや、初めは面白くて、FF13の欲求不満総て解決したね、と思いきや。

 うーん。今の日本の物作りの悪いところが全部出たという作品だな。

 どうすればいい物が作れるかではなくて、どうすれば売れるものが作れるかだけを斟酌した結果だろう。
 例えば、亀田兄弟。
 本来なら、新チャンピオンになった時点で、『巨人の星』並みにスパルタの親父と二人三脚で栄冠を掴んだという事実が判明して、それが話題になって、新しい番組が企画されて――となるはずなのに。
 まず、『巨人の星』のパチモン番組作り、それに合わせてチャンピオンにさせようとする。そのためには手段を選ばず、招聘禁止ボクサーを噛ませ犬にして――といった指摘は散々されてきた。

 FF10という傑作ゲームがあった。ストーリーもキャラクターも音楽も、奇跡的な完成度で、クリア後も感動が持続した。しかしながら、ある意味BADENDING、このまま終わるなんて酷い! と思ったのはおれだけではなかった。そうした意見がメーカーに数多く寄せられ、結果、FF11の次は12ではなく10-2が発売されたのだ。
 10とは全く違う能天気な内容だったけど、最後はHAPPYENDINGで、悲しい涙を流したファンたちは、ほっと安堵したものだった。

 それを、狙ったんだろう。
 シンプルでいいゲームかと思ったが、終えてみれば明らかな手抜きと分かる。なんせ、あっという間に終了するという薄っぺらなストーリー。ダンジョンとモンスターは使いまわし。分岐点での選択で異なったENDINGと謳いながら、1分程度のどうでもいいムービーを見せられるだけ。
 結局、ENDINGはあざいといBADENDINGで、さらに“to be contenued”ときたら、これは見え見えのFF-10の泥鰌狙いだろって。

 続きをやらなければいてもたってもいられないゲームを作れよな。
 BADENDINGにしておけば、皆続きをやりたがるだろうって。

 こんな酷い商売ってあり? ファンをなめるのもいい加減にしろよ。
 
 13-3を出すつもりなんだろうな。ラストチャンスだと思うから、絶対、手抜きはするなよ、スクエアエニックス。


       拳道会情報誌「拳道」第56号(2011/12/23)



           全国選手権特集

 12月18日に発売されました。

 表彰式での小生の写真も載っております。

          拳道

 ご希望の方は、

 〒171-0014 東京都豊島区池袋2-70-9 小林興産ビル1Fまで。
 kaneshiro@kendoukai.org

 300円(送料別)です。


          幽霊は不倫する(2011/12/11)



             喪失感


        幽霊は不倫する


 市川森一氏が亡くなられた。つい先日石堂淑朗氏の訃報を聞いたばかりだった。ウルトラマンシリーズに関わった脚本家がお二人相次いで鬼籍に入ったことになる以下敬称は略します。
 唐突だが市川森一は「喪失」を描いた作家だったと思う。われわれは時間をはじめとして、いろんな物を失いながら生きている。当然得るものもあるのだが、最期には総てを失って死ぬ運命にある。そうした人間という存在の根源的な哀しさを描き続けたのが市川森一ではなかったか。
『港町純情シネマ』がそうだった。『淋しいのはお前だけじゃない』しかり、『異人たちとの夏』しかり。そうした市川作品の中で最も「喪失感」が色濃く描かれていたのが、『泣いてたまるか』シリーズの一本「幽霊は不倫する」(1986年)だった(しかし、このタイトルはなんとかならなかったのかしら)。
 西田敏行は美容院の経営者。萬田久子はその妻。ある日、探偵事務所の女性調査員・富田靖子から「奥さんの不倫現場の写真を買わないか」と持ちかけられる。そして、「奥さんは今日もこの男と会っていましたよ」という富田の話を聞くや、西田は写真を買い取った上で、さらなる不倫調査を依頼するのだった。
 不倫というテーマを扱いながら、西田のキャラはコキュとはいえ、どこか喜劇的。萬田久子はこの当時、輝くばかりに美しく、浮気されても仕方ないよねという雰囲気が漂いまくりだった。
 このドラマ、DVD化もされていないし、再放送の可能性も低い。だからネタばらししちゃうけど。

 ネタばらし↓
 
 萬田久子は一年前に急死していた。富田靖子はそんなことも知らずに、いい飯の種を見つけたと、西田のところに写真を持ち込んだのだ。「奥さんは今日もこの男と会っていましたよ」という言葉から事実を察知した西田は、敢えて調査を依頼した。そして、毎日持ち込まれる偽の調査報告の中に生きている妻の姿を見ていたのだ。

 ネタばらし↑

 なんて哀しい話なんだろう。「喪失」というものをここまで描ききった作品は、泡坂妻夫の『雪なだれ』くらいだろう。
 そして、われわれは市川森一という素晴らしい才能を永遠に失ったのだ。


   木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(2011/10/22)



            三つの大恥


           

        木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか



その1
 先日の鮎川哲也賞贈呈式のパーティで、複数の方から、「増田俊也読みましたか」と訊かれて、なんのことか分からず「さあ?」と答えておりました。そうした質問をされた方々が、「高専柔道」とか「七帝大」なんて話しているのを聞いて、「あ、ひょっとしたら『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』のことですか」なんてことを訊き返しながら、「へえ、皆さん『ゴング格闘技』なんか読んでいるんだなあ」と思ったのが、大恥。

その2
 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』をゴング格闘技の七月号で読んだ時に、連載の最終回と気が付かずに、「随分、散漫な文章だなあ」などという感想を抱いたという大恥。

その3
 伯方雪日さんのツイートを見て、「あれ? 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』というのはひょっとして単行本になっているのかいな」と遅まきながら気付いて、早速昨日池袋ジュンク堂で購入し、某呑屋で検見していたら、なんと我が師、拳道会総師・中村日出夫の名が出てくるではないか。そんなことを、今の今まで知らなかった(質問された方には、この件のことを話したかった方もいたはず)という大恥。

 誰もが知っている木村政彦と力道山の死闘。もはや定説にもなっている八百長を力道山が途中で裏切った(あるいは恐怖心からガチを仕掛けた)という話を証明し、木村政彦の名誉を回復する。著者の増田俊也はそんな想いから、検証を始める。
 大量の資料にあたり、生き残った知人、当事者、あるいは格闘技の専門家に取材を試み、真実を追求していく。そうして、なんと探り当てた事実は――
 労作である。
 安易に肩入れせず、深読みせず、饒舌であった著者は次第に寡黙になり、そして、ついには言葉を失っていく。
 事実は事実でしかない。それはまた凄まじい現実である。おそらく木村政彦の評伝で、これ以上のものはこの先書かれないだろう。その一点で本書には価値がある。
 しかし、男たちの時代は、本当に終わっちまったんだなあ。
 
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也 新潮社 2011


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