このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。
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11日の裏モノ日記にまたまたおかしなことが書かれているが、唐沢は、もう考えもせず、推敲もせず、Wikiで読み齧ったことを書き並べて(貼り並べて?)それでよしという開き直った態度で書いているようだ。文章は下手糞、内容はP&Gという評価は確立してしまい、今更何をどう書こうが、評価なんかされないことは、本人が一番分かっているのだろう。以下、三木たかしの訃報に接しての記事。
作曲家三木たかし氏死去、63歳という若さ。 昭和歌謡の、ある意味 王道的体現みたいな人だった。そこが(ママ)王道かというと、歌詞をあくまで大事にする作曲、という 部分だったのではないかと思う。 代表作『津軽海峡・冬景色』の正式タイトルは “津軽海峡”と“冬景色”の間に、ナカグロが入る。 三木たかしは律義に曲にそのナカグロを活かして、石川さゆりに 「アアアア~、ツガルカイキョウ“・”フ~ユゲ~シキ~」 と一拍おかせて歌わせた。今では誰もが“津軽海峡冬景色”を一続きの単語として意識している。誰やらが俳句の会で 「荒海や 津軽海峡冬景色」 というのを詠んでボツになったなんて話もある。 作詞した阿久悠自身、なんでナカグロを入れたのかは覚えていない そうだ。しかし、三木たかしの王道的作曲の中では、あくまでも『津軽海峡・冬景色』なのであったろう。
この人の曲が王道なのは、歌詞をないがしろにせず、一語々々の粒立ちをそれだけはっきりさせて作曲していたからであった。だから、明瞭に歌が記憶に残るし、素人でも唄いやすい。曲を提供した歌手の中でアグネス・チャンが一番多いのは、日本語を母国語としないアグネスでも、三木たかしの曲ならばきれいに歌えるから、だったのではないか(彼女は、デビュー時から日本語がうまくなっていないと言われるのをとても気にしていたという)。
アニメソングを作っても、それは変わらず、王道中の王道と言える曲を作曲、子供たちの永遠の愛唱歌になった。
http://www.youtube.com/watch?v=iHv0kvmxTvk&feature=related
それは特ソンマニアに人気の『超人機メタルダー』(『アンパン マン』が作詞やなせたかし、作曲三木たかしのWたかしだったが、 こっちは作詞ジェームス三木、作曲三木たかしのW三木コンビで ある)、アイドルソング『君可愛いね』、バラード『時の流れに 身をまかせ』、高校サッカー大会テーマソング『ふり向くな君は 美しい』など、どんなジャンルの作曲でも変わらなかった。
日本語の響きを大事にし、その言葉を最も輝かせてくれた、王道の人だった。昭和歌謡に愛着を持つということは、三木たかしの作曲法に愛着を持つということだったかもしれない。王道の人に、黙祷。 (太字は引用者)
音楽のことは全く分からない。分からないなら分からないなりに、自分の得意分野(?)のアニソンに絞って語る、なんてことも思いつかない。いや、そんなことをしたら、却ってボロが出るか。日本語を大切にする作曲が王道だと決め付けるなら、具体的な楽曲作法について一言あるべきだが、そんなことは分かりもしない。滅多矢鱈に王道、王道と繰り返すだけ。
おい、唐沢、三木たかしが優れた作曲家だったのは、お前の手柄でもなんでもないんだぞ。なにをまあ、上から目線で偉そうに。
日本語を母国語としないアグネス・チャン(日本語も下手だし、理解力も劣る)が、なんで一語々々の粒立ちをそれだけはっきりさせて作曲していた三木たかしの曲なら、きれいに歌えるのか説明してみろや。お前に、英語の歌詞を大切にする王道を行くアメリカ人が作曲した曲がきれいに歌えるか?
もう埋まればいいんだもんね。堕ちる所まで墜ちたな。
検証blogのコメント欄が賑わっていると思ったら、思いもよらぬ方々から、メールやメッセージをいただいた。これまで、漠然と「唐沢って酷い奴だな」と思っていたのが、具体的にどう懲らしめようかという指針を見つけたってことかな。
お楽しみはこれからだ。
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決定しました
〔小説部門〕『完全恋愛』牧薩次(マガジンハウス)
〔評論・研究部門〕『「謎」の解像度』円堂都司昭(光文社)
5月13日開票の結果、大賞が上記の通り決まりました。候補作の各得票数は以下の通り。各社媒体、HP等で公開してください。全選評は「ジャーロ」夏号(6.15発売)に掲載されます(ハガキを別送しますが、メール環境が会員・賛助会員の9割を超えていますので、現時点をもってオープン扱いとします)。
【小説部門】候補作(タイトル50音順)
23『完全恋愛』牧薩次(マガジンハウス)
4『裁判員法廷』芦辺拓(文藝春秋)
13『造花の蜜』連城三紀彦(角川春樹事務所)
6『ペガサスと一角獣薬局』柄刀一(光文社)
11『山魔の如き嗤うもの』三津田信三(原書房)
【評論・研究部門】候補作(タイトル50音順)
7『幻影城の時代 完全版』本多正一編(講談社)
2『探偵小説のクリティカル・ターン』限界小説研究会編(南雲堂)
13『「謎」の解像度』円堂都司昭(光文社)
3『本格ミステリ・フラッシュバック』千街晶之他(東京創元社)
2『密室入門!』有栖川有栖×安井俊夫(メディアファクトリー)
小説部門は『造花の蜜』を推しましたが落選。
評論部門は、推薦した『「謎」の解像度』が受賞しました。
ま、『完全恋愛』の受賞は』予想していましたが。
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青息吐息
うーむ。
かつてのパワーはどこに行ったのやら。
VOWは1から綿々と20まで続く本体(毎年夏に刊行される)と、例年年末、もしくは翌年の初めに出る姉妹編(VOWplus1とかVOWでやんすとか)の2部構成で、これが毎年2回のお楽しみだったんだが。

夏にVOW20が出た後、年末にも新年にも新刊は出ず、宝島社のサイトからも、VOWのページはなくなってしまうし、「まぐまぐVOWデジカメでぽん」も更新が滞っているし、なにやら冬の時代を予感させたのだが、悪い予感が当っちまったというのが読後の感想だ。残念だけど。
ザ・ニュースペーパーのページはともかく、第1章 霞流一さんの世界の珍事件!は、霞先生から毎年送られてくる抱腹絶倒の年賀状がネタだから、ひとしきり笑わせてもらい、うむ、これは充分に期待できる内容だなとワクワクしたのであるよ。
いや、それは見事に裏切られた。ネタ切れ(送られてこないのかしら)は目を覆わんばかりで、一体いつの時代のネタなんだよという、古色蒼然としたネタが目立つこと目立つこと。天野祐吉の『嘘八百!!』じゃあるまいし。
「まぐまぐ」もそうだが、VOWネタのサイトの凋落も著しい。吉村智樹の「街がいさがし ~街のヘンなもの見つけた!~」も2007年四月以降更新されていないし(もっとも吉村さんは、「ミミ&カッキー」というBBSで同じようなことは続けているけれど)。VOWもそろそろ、その役目を終えようとしているのかしら。

『VOW お笑い新聞』 宝島編集部 編 宝島社 2009
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知らないことを書くなら、調べることくらいしなよ。
検索してコピペしてパクる努力は惜しまないくせにねえ。
5月5日の裏モノ日記にまたガセが載ってらあ。知ったかぶりして大恥をかいた、ブリコラージュの教訓が全く活かされていないよなあ。いや、なにブリコラージュをプリコラージュと書いているんだよね。無論、それだけじゃなくて、内容の説明も全くの出鱈目。でも、“Bricolage”なんだから、プリになるわけはないんだよなあ。で、裏モノ日記なんだが。
佳声先生は最近よくかける『国性爺合戦』、それと大会の大〆メをマンガ紙芝居『ドンちゃん』。弾丸自動車(スナップ・ボラードの喜劇映画からのインスパイアか?)に乗ったドンちゃんの大冒険(?)自動車を発明した博士が白人なのになぜか中国風のアルヨ言葉だったり先行きがまったく見えぬ紙芝居クオリティ。いや、笑った。
スナップ・ボラードって誰? “”で括ってググってみれば、唐沢のこの日記ともう一件しかヒットしない。多分、これが弾丸自動車なんだろう。この髭の人物は、“Snub Pollard”、スナッブ・ポラードである。ブリコラージュもスナッブ・ポラードも知っていれば間違えっこない固有名詞だ。付け焼刃の知識を適当に並べて恥をかく、いつものパターンだ。いや、自分の読者は馬鹿ばかりだから、なにを書いても、へぇーへぇーと感心すると思っているんだろうな。
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だから、推敲しなよ
5月2日の裏モノ日記にまたまた馬鹿なことが書かれていたので、指摘してみるか。
DVDで野村芳太郎『八つ墓村』。あれ、昔観たときはもっと オカルト色が濃いと思っていたけど、まともなミステリ映画としても 見られるじゃないか。たぶん、オカルト映画へのこっちの抵抗がぐーんとそれ以降のムードでハードルが下がったのだろう。 公開時は都筑道夫などが(オカルト好きなくせに)「これはオカルト映画でミステリ映画ではない」とくさしていたものだ。やはりミステリ作家にとっては本格ミステリ と言えば神聖にして犯すべからざる存在であり、オカルトなどの色を つけることは侮辱に思えたのだろう。他のミステリ畑の人も同様の意見だったと記録する。おかげで興収14億円の大ヒットになった映画ながら公開時に見逃してしまい、後で名画座での上映を追い駆けるのにえらい苦労をした。(太字は引用者による)
馬鹿が書いた偉そうな文章くらい不愉快なものはないが、これなどはその典型だろう。グダグダ書いているが、要は「野村芳太郎の“八つ墓村”は、公開当時、都筑道夫をはじめとするミステリ作家に、オカルトだとけなされたため見逃したが、今見ると普通のミステリとして楽しめる」と、それだけのことなのだ。
ちょいと時代背景に触れておく。金田一耕助という、ほとんど忘れられかけていた名探偵が復活したのは、角川春樹による角川文庫のキャンペーン、そして、1976年の角川映画『犬神家の一族』によるところなのはご存知だろう。金田一耕助を演じたのは石坂浩二。そして、ここから金田一耕助ブームが始まったのだ。『八つ墓村』(松竹)は1977年、そのブームに便乗して作られたと言ってもいいだろう。とは言え、監督野村芳太郎、脚本橋本忍、音楽芥川也寸志。出演者も、萩原健一、山崎勉、小川眞由美、山本陽子、島田陽子、そして金田一を渥美清が演じるという、角川版に勝るとも劣らない、豪華メンバーだった。
それが松竹のやり方なのか、橋本忍にそんな資質があったのか(なんせ『幻の湖』という大怪作を作ったお方だ)、映画はホラーの要素の濃いものになった。1973年に『エクソシスト』『ヘルハウス』がヒットし、オカルト・ホラーブームが訪れ、前年には『オーメン』がヒットしたことを考えれば、後だしジャンケンにホラー要素を盛り込んだわけも容易に推測できる。そこを対角川版のエッジにしたかったのだろう。
さて、そう考えると唐沢が書いていることはかなり変だ。
オカルト映画へのこっちの抵抗がぐーんとそれ以降のムードでハードルが下がったのだろう。
抵抗のハードルが下がったのなら、一層何にでも抵抗し易くなったことになる。変な言い方だが、唐沢はそう書いているよね。本当に推敲しろと重ねて言いたい。いや、こう指摘されても、自分の文章のどこがおかしいのか理解できないのかも知れないけどさ。
公開時は都筑道夫などが(オカルト好きなくせに)「これはオカルト映画でミステリ映画ではない」とくさしていたものだ。
なにが「オカルト好きなくせに」だよ。全く以って無礼だなあ、この馬鹿は。横溝の原作はオカルト・ホラーの衣を纏ってはいるが、複雑かつ精緻なミステリで、だからこそ映像化は難しいのだが、肝心の主題をすっ飛ばして、オカルト・ホラーにしちまったんだから、都筑の指摘は100%正しい。『忠臣蔵』を前段省略してスプラッタムービーにしちまったと考えてみればいい。都筑道夫が、オカルト好きだからという理由で、こんな揚げ足をとられる筋合いはない。
やはりミステリ作家にとっては本格ミステリ と言えば神聖にして犯すべからざる存在であり、オカルトなどの色を つけることは侮辱に思えたのだろう。
神聖もへったくれも、別のものにされちまったんだから(唐沢が得意とする“劣化コピー”という奴だ)、そこを「他のミステリ畑の人も」指摘するのは当然のことなのだ。
そして、なにより、唐沢が馬鹿を露呈しているのは、都筑をはじめとするミステリ作家を揶揄しておきながら、そうした連中の評価が低かったために、
おかげで興収14億円の大ヒットになった映画ながら公開時に見逃してしまい
と、鈍感に曝しているところだよね。
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「裏モノ日記」が変だ。いや、もともと変だが、今回のは特に変だ。高英男の訃報に接して追悼文を書いているのだが。
化粧して(メイクではなく、目バリを入れたりする正当な化粧)ステージにあがることでも知られ、美輪明宏とここらはいいコンビであった。そう言えば『ゴケミドロ』の併映は美輪の 『黒蜥蜴』であったとか…… すごいな、観客にトラウマを与えようという悪意があるとしか思えない。美輪の恋人は三島由紀夫だったが、対して高のそれは挿絵画家の 中原淳一であり、その関係は三島と美輪よりずっと深く、生涯に わたるパートナーだった。中原は高の舞台衣装をデザインし、歌うシャンソンをいくつも訳詩してやっていた。 中原が倒れてからは、高はずっとその看病を続け、一緒に館山に 蟄居した。中原の息子の洲一は、父と中原の関係を 「それは、ぼく自身にとってはひどく残酷なところがあったが、美しい ものだった。限りなく美しかった、とぼくは断言する」と語っている。
化粧して(メイクではなく、目バリを入れたりする正当な化粧)とはどういう意味なんだろう。メイクというのは“正統な”化粧ではないのか。いや、言いたいことは分かるよ。あんまり稚拙な文章なのでちょっと意地悪してるだけ。高英男は単なる舞台用のメイクではなく、(女性のように)濃い化粧をしていたと言いたいのだろう。だったら、「目バリ」なんて言ってないで、「頬には紅を差して」とか書けばいいのにね。これはすぐ後に名前が出てくる、中原淳一の提案による「男性版宝塚」の化粧なんだよね。
すごいな、観客にトラウマを与えようという悪意があるとしか思えない
いきなりなにがトラウマだよ。前段の文章が、ごっそり抜けちまったのか? すごいな、読者にトラウマを与えようという悪意があるとしか思えない。
中原は高の舞台衣装をデザインし、歌うシャンソンをいくつも訳詩してやっていた。
なんだろうね、歌うシャンソンをいくつも訳詩してやっていたって。推敲をしろや。推敲しても、やっと意味が通じるか通じないかという文章しか書けない能無しが、推敲しないで並べる文章など、寝言以下だ。高はソルボンヌ大学に留学し、パリのプロダクションと8年契約して本場でシャンソンを歌っていた歌手。フランス語は中原より堪能だったのでは?
中原の息子の洲一は、父と中原の関係を
中原、分裂してるぞ!
池波正太郎にせよ、永井荷風にせよ、作家・エッセイストとしての、しっかりとした地盤があるからこそ、その余技である日記も達人の業として読むことが出来るのだ。なんの才能もない(文才すらない)半端者が、末代まで恥を曝す手段として日記を綴っているのは、究極のマゾヒズムだろう。
悪口雑言罵詈讒謗を浴び、馬鹿を曝して恥をかいてもなお、無視されるよりは嬉しいのだよね。
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上質な短編小説
やっと見ました。
会社の帰りに、有楽町で。ガラガラでちょっと寂しかったけど。

見終わった直後の感想。
これは上質な“短編小説”である。
そう。
まかり間違っても、重厚な長編小説なんかじゃない。
一瞬吹き抜けていった風のような、爽やかで暖かくて、ちょっぴり苦い短編小説。
粗筋を人伝に聞いたとき、クリント・イーストウッドはミスキャストなんじゃないかと思った。イーストウッドみたいに理性を感じさせては不味いのでは、ってね。
誰でも考えるのは、赤鼻、ビール腹のGIカットの大男。ガチガチの人種差別主義者で、息子も孫も教会の神父も大嫌い。東洋人なんか見かけただけで殺意を抱く。『突破口!』のジョー・ドン・ベーカーが年老いたって感じ(もっとも、007シリーズでジャック・ウェイドを演じている、60過ぎのジョー・ドン・ベーカーのイメージは一寸違うんだけどね)。
でもって実際に映画を見てみたら――
いや、参ったなあ。この役は、イーストウッド以外には考えられない。“馬鹿”じゃ駄目なんだよね。“馬鹿”は得てしてつまらないきっかけで、まったく敵対する思想に帰依しちまう。ウォルト・コワルスキー(主人公の役名)は、そんな浅薄な男であってはならない。いや、そうした役作りだから、あのラストが活きて来るんだよな。“馬鹿”なら、最後に朝鮮戦争の体験を告白したとき、号泣するはずだし、そうなればケリの付けかたも、露骨に想像出来てしまう。
神父の描き方もいいねえ。凡百の脚本なら、前半で殴り倒されてオシマイって役だろうに、最後は泣かせるもんねえ。
本筋とは関係ない話。
イーストウッドは、親子の愛情を信じない人間ではないのかしら。『ミリオンダラー・ベイビー』のマギーの両親の描き方とか、本作の息子一家の描き方とか、思い切り悪意に満ちているもんなあ。
ラストのタイトルカット。
映画の余韻をそのままずうっと引き摺って、でも、グラン・トリノは走り去り、カメラはそれを追わずにずっとフィックスなんで、もう二度と物語世界には戻れないんだという苦さがじわじわ染み出してきて、秀逸。
すげえなあ。イーストウッド監督主演、78歳。あの黒澤明が『乱』とか『夢』とか、訳分からん写真を作っていた頃と同年輩なんだぜ。
脱帽。
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さて、何を隠そう、わたしは写楽本の収集家でもある。写楽と聞けば、展覧会美術展の類には欠かさず足を運んでいる。

今更言うまでもないが、謎の絵師写楽の正体については、学者、作家、漫画家、画家、浮世絵師、キャバレー経営者、歯科医、歌舞伎研究家etcが様々な持論を開陳していてとても面白い。一見正論風から、暴論、凡論数々あれど、その極北とも言うべきものが、松本清張が論じる写楽なのである。

『写楽の謎の「一解決」』 松本清張 昭和52年 講談社文庫 絶版
初出は昭和50年の『太陽』2月号。これが見つからないのと、上記の文庫本、解説がないので、講演形式で綴られたこの試論が、一体、いつどこでなされたものなのかはさっぱり分からない。清張は冒頭で、
わたしは浮世絵のことはまるきり素人です。~中略~素人は素人なりに何か面白い想像があるだろうと主催者に言われましたので、「面白い」ということなら思いつきをお話してみようと、この席にのこのこと参ったわけであります。この「面白い」というのは、関西弁でいう、「オモロイ」であって、いわゆる珍説、奇説の類であります。けっして学問的な研究ではございません。これをまずお断りしないと、あいつ、とんでもないことを言う野郎だ、とアトで専門家に袋叩きにされそうです。 (はじめに P34)
といきなり予防線を張っているが、この言葉に偽りはなく、膨大な資料を読み解いて歴史ミステリをものしてきた清張とはとても思えない、歴史バカミスが披露される。と言っても、文庫本で、わずか50ページ(図版、資料は除く)の“講演”だから、至極あっさりと答えは提示されてしまうのだが。
清張の推理は極めて大胆、かつ独善的。要は、なんだってこんなデフォルメされた酷いご面相の役者ばかり出てくるのか、その答えは写楽が脳梅で視神経に傷害があって、モノが歪んで見えたからということなのだ。すごいと言うか酷いと言うか。デフォルメが視神経の異常のせいと言うなら、歌川豊国なんかもっと重症だろう。役者絵それ自体を揶揄するような暴論だし、写楽に対しても無礼極まる言説だ。いやいや、怒りなさんな。洒落ですがな洒落。東洲斎写楽、つまりは「東西の洒落」でげす。
本気で論じないでくれと、冒頭で断わっているのだし。
しかし。
これは清張の確信犯なのではないのか。「珍説、奇説」と逃げをうちながら、その実、清張は本気で「写楽脳梅説」を信じていたのかも知れない。
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忌野清志郎の訃報に接してあれこれ
思い出を落穂拾い的に
その1
「古井戸」というバンドは、仲井戸麗市(れいち)と忌野清志郎がやっていたのだと、ずっと思っていた。「ほら、『さなえちゃん』って歌、あったでしょう。あれ忌野清志郎が歌ってるんですよ、知らなかった?」「へえ、そうなんですか。それで仲井戸は『リブ・ヤング』で、『さなえちゃん』リクエストされたとき、ボイコットしたんですね」「え? うん、まあその、そうなんじゃない(なんのことか分からない)?」などという恥ずかしい会話をしていたものだ。←10年位前まで
その2
昨日、女房と車に乗っていて、忌野清志郎の話になって、『ぼくの好きな先生』を口ずさみ「♪~ぼくの好きなおじいさん~♪」と歌ったら、女房に「違うよ、おじさんだよ」と指摘された。な馬鹿な。白髪頭で眼鏡、くわえ煙草で画布に向かう先生は、絶対におじいさんでなければならないのだ。家に戻って調べて驚いた。「おじさん」なんだよなあ。ずうっと何十年も、おじいさんと歌っていた。
その3
『パパの歌』が清水建設のCMに使われた。ああ、わたしはわが子に誇れるような昼間のパパであろうかと、銀座の三州屋でポン友と二人、昼酒をかっ喰らいながら、「昼間のパパは、腐ってる~♪」と自虐の歌。
その4
大分以前だが、椎名誠が、清志郎をけなすようなことを書いた。確か、野音かどこかのコンサートで「愛し合ってるか~い」と言ったことを揶揄して、うんと否定的な書き方だった。頭にきて椎名誠の本は全部捨てた。だから、正確な引用もできない。
その5
鋤田正義と呑んでいたとき(鋤田さんはデビッド・ボウイのアルバムのカバー写真を撮っているカメラマンだ)、清志郎とアメリカに撮影に行ったときの話を聞いた。月刊プレーボーイの仕事だった。鋤田さんは、清志郎が最高にイイ奴だと何度も言っていた。嬉しかった。
その6
唐沢俊一がmixiの日記(マイミク限定)に追悼記事を書いたらしい。マイミクがそれを2ちゃんねるにコピペしていた(本物かどうかは不明だが)。
『雨上りの夜空に』を初めて聞いたときの衝撃を忘れることは出来ない。 “立たない”というテーマを歌にした男が出てくるとは思わなかった。 いや、私はそのときまだそういうシチュエーションを連想できるような 年齢ではなかったが、何となく、そういうことになることもあるだろう、と 思っていた。さすがにこの年になるとね(笑)。 いや、冗談でなく、そういうときに彼の歌が頭に響くのです。
突っ込みません。
突っ込まないけど、分かる人は充分に分かるだろうし。清志郎の訃報に触れたとき、2ちゃんねるの唐沢スレッドには、「清志郎のことでいい加減なこと書いたら、ただじゃおかねえぞ」といった類のレスが相次いだ。しかし、予想通り、唐沢は思い切りいい加減なことを書いた。「おれの読者はこれを読んで『へーそうなんですか!』と驚く馬鹿ばかりだから、これでいいのだ。突っ込んでくる奴には『釣に決まってるだろ、いいのか、そんなに素直で』と言ってやればいいんだ」という一貫した姿勢のあらわれでしょうな。
♪~どっかの山師が、おれは神だと言ってたってさ~♪
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オモシロクテタメニナル

ラジオライフ6月号に載っていた、●薬理凶室のアリエナイ理科ノ実験室 鶏肉のうまみをケミカル☆ブースト!を早速実行してみた。ブーストの方は準備に色々機器がいるので、ケミカルの方でいってみよう。
材料;ドール、パイナップルジュース 69円
ハイミー 258円
ワカドリモモ(×3) 550円
調理法
ワカドリモモの皮を剥き、フォークで滅多刺しにして大量の穴を開ける。
ボールにジュースを入れ、水で倍に薄め、ハイミーを20g入れて攪拌する。
ワカドリモモを漬込む。
1~2時間ほど漬けたモモ肉を一口大に切り、フライパンで炒める。表面に火が通ったら、味醂とオイスターソースで味を付ける。
湯通ししたキャベツを皿に敷き、マユネーズを懸け回し、そこにフライパンの中身をぶちまける。
食す。
美味い!
鶏肉の味が濃くて、まるで高級地鶏を食っているようだ。無線やCPの裏技ばかりでなく、こんなに面白くて為になる情報も載っているラジオライフ。
あの、糞のようなコラムが唯一の汚点だと思うぞ。