ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

             点と線(2009/04/29)



 今さらだが、初めて読んだ。
 おれは、もともと松本清張の良い読者ではない。
 これまでに読んだ作品といったら『Dの複合 』『風の息』『球形の荒野』『黄色い風土』ぐらい、『けものみち』『霧の旗』『砂の器』は映画で見た。『ゼロの焦点』も未読である。
 本作を購入したのも、風間完画伯の表紙画が秀逸だったためで、特急あさかぜのイラストか何かだったら手にも取らなかったろう。

 一読、驚いた。なんというあっさりした話なのだろう。映画『砂の器』の印象が強すぎて、清張=重厚長大、どろどろという先入観があったから、どちらかといえば、“拍子抜け”の感もあった。
 で。有栖川有栖の解説を読んだのだが、いや、これがまあ、丸っきりおれが感じたのと同じことを書いているのだ。一部引用しよう。

 「多大の期待とともに読み、がっかりした」
 「いくら当時は交通網が未発達だったとはいえ、九州と北海道を結ぶアリバイに挑んだ三原刑事の勘の悪さは度を超している」
 「共犯者および多数の協力者が存在することが推理小説として不満」
 


 その他にも、名高い「空白の四分間」のトリックが現実的には到底実行できない点、偽装情死をもっともらしく見せかけるのに「空白の四分間」を利用する必然性が希薄な点などを挙げて名作にケチをつける。100%賛同できたが、文庫本の解説でこんなにボロカスに書いていいのかよとも思った。案の定、後半は一転してその秀逸さを称えている。

 三回読んで、やっと作品をわがものにできた気がする。読み手としての反射神経の鈍さを吐露したようなものだが、そんな「うかつ」はわれらの三原刑事に免じてお赦しいただきたい。

 これまた言わんとすることは理解できる。「空白の四分間」のアイデアには全く感心しないが(どこが面白いの?)、有栖川が指摘する、国鉄香椎駅で降りた男女が西鉄香椎駅前で目撃される件は、本当に魅力的で面白い。いや、その後に列挙される稚拙なアリバイトリック郡とは全く違った質の高い謎だと思う、思うからこそ苦言を呈したい。
「点と線」には二つの大きな欠陥がある。
 一つは、有栖川有栖が初読のとき(中学生時代)に気がつかなかったように、この作品の真の魅力がつまらない時刻表トリックに埋もれてしまい、充分に発揮されていないことなのだ。北海道でのアリバイつくりなど、後で刑事にアリバイ破りをさせるために取ってつけたものとしか思えない。そして、そのことは思わぬ弊害を世間にもたらしたのだ。
 新本格ミステリーが登場するまでの30年間ほどの時期を、おれは「失われた30年」と名付けている。「点と線」発表時、有栖川のような優れた読み手以外は、あの稚拙な「空白の四分間」トリックにしびれ、愚直な刑事がコツコツ歩き回る姿にリアリティを感じ――とまあ、この辺りのことは『十角館の殺人』を読んでもらうとして、とにかく、「点と線」の駄目な所を模倣、拡大再生産したような「アリバイトリック」や「社会派ミステリー」が巷にあふれ、多くはそれに飛びついた。時刻表のトリックなら『黒いトランク』という佳作が存在しているにもかかわらず、そうした読者にはレベルが高すぎたのだろう。これを清張のせいにするのはいささか酷のような気もするが、トリッキーな小説を「お化け屋敷の掛け小屋」と軽蔑したのも清張なのだ。
 もう一つの欠陥は、そんな一般論ではなくて、「点と線」がミステリとして成立していないということなのである。(以下ネタばれ)

 「点と線」は倒叙トリックの小説ではない。しかし、大多数の読者は、安田辰郎が犯人であると思いながら読み進めているし、刑事もその犯人のアリバイトリックを見破ろうと東奔西走する。作者に誘導された読者はともかく、なんで刑事までが。それは「空白の四分間」があまりにわざとらしいと疑ったのがきっかけだった。安田は馴染みの料亭の女中二人を夕食に誘い、鎌倉に帰る自分をホームまで送ってくれと頼む。そうして横須賀線が入線してくる四分の間隙に、一つ向こうのホームに停まっている特急「あさかぜ」に、女中達の同僚お時が、男と一緒に乗り込むのを目撃する。「あれは、お時さんじゃないか」「あら、ほんとうだ。お時さんだわ」。後に刑事はこの出来事に作為を感じて、安田を疑いだす。証拠は一切ないのに。
 有栖川も指摘しているように、「あさかぜ」はホームに41分間も停車しているのだ。たまたま横須賀線ホームからそこが見られる四分間に、お時が男と現れるなんて偶然以外になにが期待出来るだろうか。作為だと疑っても、この事実を知れば、そんなことが計画的に出来ることではないと思うのが常識ではないか。警察内で疑義を呈しても、「そんな不確実なことを仕掛けるはずがない」で一蹴されるだろう。
 しかし、愚直な刑事は安田のアリバイを破ろうと必死になる。そうして、実行可能な移動方法を苦心の末に見つけるのだが、そんなものは事件の本質とはなにも関係がないのだ。偽装心中なら、どうやって毒を飲ませ、死体をどうやって運んできたのか、それを現場検証と検視の結果から進めるのがまず第一歩。その結果安田辰郎という男が捜査線上に浮かび、安田にアリバイがあるということで初めて、こうした捜査が行われるのだ。実際の事件なら、こうも簡単に心中と結論されないだろうし、殺人の疑いが浮上すれば、容疑者は数十人いるのではないか。その中から、なぜ安田が注目されたのかがまるで分からない。作者はむろん犯人は誰か分かっている。要はそれをいかに巧みなやり方で読者に提示していくのかなのだが、清張はその努力を全くしていない。皆様ご存知の通り、犯人は安田辰郎です。これから、この男の仕組んだアリバイトリックを見破ってご覧にいれますという図らずも、「お化け屋敷の掛け小屋」の口上みたいな小説を書いてしまったのだ。「皆様」の中に刑事が含まれていて変だとは思わなかったのだろうか。

(ネタばれここまで)

 繰り返しになるが、有栖川が指摘するように、香椎駅での男女の行動は、不可解で魅力的だ。しかし、これは短編のネタだろう。基本的に松本清張という作家は「長編ミステリ」には向いていなかったのではと思ってしまう。

 

 
点線
 『点と線』 松本清張 文春文庫 2009


           MI6とCIA(2009/04/28)



              さらに続きです

            ラジオ6

 
 過去に起きた出来事・事件を
“雑学の神様”唐沢俊一が考察
 するコーナー。今月は、表には
 出てこない裏グッズについて
 紹介しよう。ただの杖が一転し
 て日本刀になるという“仕込み
 杖”を使った暗殺事件がかつて
 存在したという。
そして、その
 裏には仕込み杖のコレクターと
 して伊藤博文の名があったそう
 だが…。



 結局、仕込み杖のネタはガセだったということで、唐沢は先に進む。
 
 007は英国秘密情報部MI6に属しているが、この組織はまさにマニアックに、いろんな凝った殺人グッズを開発していた。1950~60年代にかけては、暗殺は国家政策のカナメの一つであったのだ。しかし、現在博物館などに展示されているそれらの暗殺グッズ(聖書をくりぬいて仕掛けられた爆弾、万年筆に仕掛けられた小型拳銃、靴のカカトに隠された小型ナイフなど)が実際に暗殺に用いられ、成功した例は、ほぼゼロである。

 今回も参考文献が3冊挙げられている。そのうち、『難波大助の生と死』原啓吾 国文社1981は、摂政宮暗殺未遂事件に関するものだろうし、『そのとき歴史が動いた・6』NHK取材班 KTC中央出版2001が、コアなMI6暗殺ネタを扱っているとも思えないので(実本にあたっていないので、あくまでも想像です)、ここら辺のネタ元は、『暗殺の政治学』リチャード・べフィールド 扶桑社 2008なのだろう。しかし、だとしても、唐沢は、MI6から「本年度の暗殺実績」なんていう情報が開示されると思っているのだろうか。国家元首やそれに準ずる要人の暗殺事件(大々的に報道されたという意味)ならともかく、情報戦争の陰で消されていった人間の記録が、使われた凶器の情報と共に、公開されるはずがないだろう。なにが「成功した例は、ほぼゼロである」なんだよ。
 さらにCIAに関しても、1950年代に作成されたという『暗殺マニュアル』という書籍を元に語るのだが、そんなものの存在が、どんな形であれ、一般に開示されると思っているのだろうか。この『暗殺マニュアル』に至っては、

 無名のこの筆者は、ピストルによる暗殺は非効率的だと退け、爆弾は、手で投げる方法では成功率は極めて低い、といい点数をつけていない。また、刃物で人を殺傷するためには、最低限の人体に対する知識が必要としている。もちろん、暗殺用秘密兵器などマニュアルの項目としても出てきもしない。
 では、この暗殺マニュアルの筆者が勧める、最も優れた暗殺グッズは何か、というと、意外なことに、それは“そこらにある硬くて重いもの”だという。「最も簡単な道具が、暗殺には最も効率的なのが普通である。カナヅチ。斧、スパナ、ネジ回し、火掻き棒、包丁、スタンドなど硬くて重くて持ちやすいものであればなんでもよい」


 細かいことだが、こうした引用のとき引用する書籍作者は「著者」と書くのが普通。「筆者」では著作者なのか引用者なのか分かりにくい。
 なんかCIAの『暗殺マニュアル』というよりも、『ド素人のための殺人術』みたいな本だな。ネジ回しというのは多分、1番ウッドのクラブのことではないのか。ネジ回しが硬くて重くて持ちやすいものとは思えないのだが。
 “そこらにある硬くて重いもの”という言葉に対するちょっとした思い入れを記して、今回の検証の締めとしよう。

 伊豆半島で大きな地震があった直後、わたしは(鉄道網が分断されていたので)タクシーで伊豆半島のあちこちをロケハンしていた。そのときの運転手は以前トラックの運転手をしていたといい、この近辺の坂道でブレーキが効かなくなったときの体験を語った。
「おらあ、急いで、安くて硬たそうな家を捜しただよ」
 意味は分かりますよね? この運転手はCIAだったのかも知れない。


          何の役にも立たない仕込み杖(2009/04/27)



              続きです。

           ラジオ6

 過去に起きた出来事・事件を
“雑学の神様”唐沢俊一が考察
 するコーナー。今月は、表には
 出てこない裏グッズについて
 紹介しよう。ただの杖が一転し
 て日本刀になるという“仕込み
 杖”を使った暗殺事件がかつて
 存在したという。
そして、その
 裏には仕込み杖のコレクターと
 して伊藤博文の名があったそう
 だが…。


 さて、気をとり直して、検証を進めていこうか。唐沢は続けてこう書いている。

 例えば有名かつポピュラーなそういう道具に“仕込み杖”というものがある。刀身を、杖の中に仕込んであるもので、刀であることを隠して持ち歩けるという、暗殺用には格好なグッズである

 前振りにあったように、唐沢は今月は「仕込み杖」というネタでエピソードをでっち上げているのだが、これが杜撰の極みなのだ。一つ一つチェックしていこう。
 唐沢は、まず最初に仕込み杖の歴史は古く、正倉院の御物の中にも見られると書いている。しかし、それは「もっとも、刀の部分に装飾が施してあって、実用というよりは美術品に近い」のだそうだ。ぜんぜん暗殺用グッズじゃないよな。しかもそれは、聖武天皇の愛用品だとして、「天皇自身が護身用にせよ仕込み杖を愛用していたという時代はやはりちょっと異常といわざるを得ない」と結んでいる。聖武天皇の身辺がどんな状況だったのかはともかく、このエピソードは「“仕込み杖”を使った暗殺事件」とは全く関係が無い。唐沢はさらに続ける。

 仕込み杖を常に携帯していた施政者には、他に伊藤博文がいた。彼は仕込み杖のマニアであったらしく、海外でいろいろと仕込み杖を買ってコレクションしたり、人にプレゼントしたりする、いわゆる裏グッズ好きだったらしい。博文は2009年現在からちょうど100年前の、1909(明治42)年に中国のハルビンで暗殺されるが、その時所持していたステッキも、当然ながら仕込み杖であった。暗殺者の安重根はピストルを用いたのだったが、これがもし刀で切りつけてきたのであったら、対する博文も仕込み杖を抜いて応戦し、チャンチャンバラバラの大立ち回り……といったシーンが見られたかもしれない。

 前振りにあった伊藤博文は登場するが、このエピソードも「“仕込み杖”を使った暗殺事件」ではない。さらに1923年テロリスト難波大助が虎ノ門で摂政宮を襲ったというエピソードを紹介するが、これは未遂事件である上に使われたのはステッキに仕込まれた銃であった。難波大助の父作之進にこの仕込み杖を送ったのは伊藤博文だというのだが、これまた、「“仕込み杖”を使った暗殺事件」ではない。
 そして、もう一件と断って、唐沢は森有礼暗殺について語り始める。森は、伊勢神宮に参拝した際に、

 彼は靴のまま正殿に入ろうとし、かかっていた御簾をステッキで持ち上げてのぞき込んだという。実際には森はこんなことはしておらず、しかし宗教自由論者として神道を軽んずる傾向のあった森を誹謗するために、伊勢神宮の方でこんな噂を流したらしい。

 結局森は「狂信的神道信奉者であった右翼青年、西野文太郎」に暗殺されるのだが、文太郎が用いたのは出刃包丁であり、その文太郎を成敗した護衛警官座田が用いたのが仕込みだったらしい。またもや「“仕込み杖”を使った暗殺事件」ではないよなあ。結局看板に偽り有で、「“仕込み杖”を使った暗殺事件」についてはとうとう語られずに終わる。それでは不味いと思ったのか、唐沢はこんな言い訳を記している。

 が、ここで思うのである。彼(註:森有礼)が御簾を持ち上げたステッキというのは、仕込み杖ではなかったのだろうか、と。森と博文は共に海外留学体験があった。仕込み杖マニアだった博文が森にそれを送った可能性は高そうだ。

 あのよー。
 自分で、「実際には森はこんなことはしておらず」と書いたのを忘れたのかよ。ステッキで御簾を持ち上げたというのがガセなら、そのステッキが仕込み杖か検証する意味なんてないだろっての。なにが「ここで思うのである」なにが「可能性は高そうだ」だ。三歩歩くと忘れる鶏野郎が。で、結論は、

 こうして見ると、仕込み杖は暗殺用としてではなく、ボディガード用としての所持が多いのではないか。

 あのよー。「究極の裏グッズといえば秘密兵器、それも暗殺用グッズであろう」と勝手に論を進めて、延々と仕込み杖の話を進めてきたのはお前だろうっての。2頁半も書き殴った後で、「仕込み杖は暗殺用としてではなく、ボディガード用としての所持が多いのではないか」ってじゃあ、これまでのお話は全部チャラなのかい?

 さらに話はMI6、CIAとなっていくのだが、疲弊したので、続きは後で。


          雑学の雑は、粗雑の雑(2009/04/27)




              ラジオ6

「ラジオライフ6月号」が発売された。
 なんか1か月が異様に早く過ぎるような気がするけど、まあいいか。
「唐沢俊一の古今東西トンデモ事件簿」第45回「暗殺用グッズ」の巻

 過去に起きた出来事・事件を
“雑学の神様”唐沢俊一が考察
 するコーナー。今月は、表には
 出てこない裏グッズについて
 紹介しよう。ただの杖が一転し
 て日本刀になるという“仕込み
 杖”を使った暗殺事件がかつて
 存在したという。そして、その
 裏には仕込み杖のコレクターと
 して伊藤博文の名があったそう
 だが…。


 おお、かの伊藤博文が仕込み杖を使った暗殺事件に連座していたというのか。これはまさにトンデモ事件。大いに興味は盛り上がるのであるが。冒頭の文章を引用しよう。

 究極の裏グッズといえば秘密兵器、それも暗殺用グッズであろう。別に暗殺グッズといっても、007シリーズのQ課が開発しているような、水パイプが瞬間的に機関銃に早変わりしたり、腕時計から絞殺用チェーンが延びるといったような凝ったものである必要はない。

 うーん。
 困ったなあ。最初からこれでは、全文の検証にどれだけ時間がかかるだろうか。そのくらい最初から酷いのだ。「究極の裏グッズといえば秘密兵器」という文章には問題はない。秘密兵器は文字通り秘密裏のうちに開発され、ある日突然その威力を発揮するのだから「裏」と言えるだろうし、まさに「究極」。スポーツなどでも、相手チームに全くデータがないような新人が起用されて、意表をついた活躍をしたときなんかも「秘密兵器」と呼ばれたりするが、文字通りの「兵器」なら戦争に於ける秘密兵器だろう。古くは、カルタゴ、ハンニバルの戦象とか元寇のときの蒙古軍の「てつはう(火薬弾)」とか、近年ならV1V2ロケットやジェット戦闘機、ヘリコプター、そして、あの忌まわしい核兵器も秘密兵器だった。
 なのに――
「究極の裏グッズといえば秘密兵器、それも暗殺用グッズであろう」とはどういうことなのだろう。象も火薬もミサイルも核兵器も、暗殺用グッズではない。いや、使えないことはないけどさ。まあ、親切に解釈してやれば、後に続くフレーズから推して、唐沢は「秘密武器」とか「隠し武器」と言いたかったのだ。とにかくラジオライフのお題「裏グッズ」をむりやり、自分の扱えるネタに落とし込もうとしたんだろう。それにしたって、「暗殺用グッズ」ってなんなんだよ。「暗殺用グッズ三点セット詰め合わせ」とかあるんかいな。そもそも、暗殺といったら、例えばアメリカの大統領、初代のワシントンは……。あれ? この人暗殺されたんじゃなかったっけ。変だね。ま、いいや。例えば、16代のリンカーンがピストル(デリンジャー)で射殺され、20代ガーフィールドもピストルによる銃撃で死亡、25代マッキンレーも腹部を撃たれ、あまりに有名なケネディはライフルで狙撃されて死亡している。それ以外でも、ロバート・ケネディ、マーチン・ルーサー・キング、マルコムX、皆射殺された。暗殺用グッズ、全部、銃じゃん。
 その他有名どころを見ても、カエサルはブルートゥスやカッシウスらよって滅多刺し(短刀)、カリグラ帝も親衛隊に滅多刺し(剣)、蘇我入鹿も斬り殺されてるし、あの太田道灌も斬り殺された。星亨も斬殺、伊藤博文射殺、原敬刺殺、團琢磨は狙撃で死亡。近年でも、浅沼稲次郎刺殺、 朴正煕(韓国大統領)射殺、ジョン・レノン射殺、インディラ・ガンジー射殺、五十嵐一(筑波大助教授)刺殺。
 使用された武器は、まれに爆弾なんてものもあるが、ほとんどが銃か刃物。暗殺用グッズなんて呼んで「究極の裏グッズ」に見せかけているが、全然裏モノではないぞ。
 しかも。

 Q課が開発しているような、水パイプが瞬間的に機関銃に早変わりしたり、腕時計から絞殺用チェーンが延びるといったような凝ったもの

 機関銃に早変わりする水パイプは『私を愛したスパイ』に登場するが、「腕時計から絞殺用チェーンが延びるといったような凝ったもの」というのはなんじゃろう。W3のフェニックス機関のエージェント・F7号星光一の腕時計か。おいおい、まさか『007危機一発』で殺し屋レット・グラントが冒頭とオリエント急行内で使った時計のことじゃあるまいな。あれは、スペクターの暗殺グッズだぞ。
 それとも、Qが作ってわざわざスペクターに寄贈したのかね。「これで、うちのボンドをやっちまってくださいよ」とか。
 特撮はウルトラマンの一期のみ、TVはコロンボ、映画は007のショーン・コネリーバージョンしかしらない唐沢が、とうとう007でも馬脚をあらわしたか。

 頭からこれで、くたびれました。続きは後ほど。ふう……。


        アントン・カラスと『第三の男』(2009/04/24)




 モーリス・ジャールの話をしていたら、話題があっちに飛びこっちに飛び、ついに『第三の男』の話になったことは17日のエントリに書いた。
 書庫の一部(映画、オカルト、犯罪)の整理が付いたので、ざっと探してみたら、早速こんな本が見つかった。
 
第三の男
『激動のウィーン『第三の男』誕生秘話 チター奏者アントン・カラスの生涯」 
 内藤敏子 マッターホルン出版 2001

 実はざっと目を通しただけで、ちゃんと読んではいなかった。表紙の印象から、てっきり『第三の男』のメイキングについて書かれた本だと思っていたので、パラパラ読んで「なんだ、カラスの話なのか」と閉じてしまった記憶がある。
 著者の内藤敏子は日本チター協会会長でチター奏者。生前のカラスとも面識のあった内藤は、カラス家を訪れ、「アントン・カラスの生涯と業績、『第三の男』とチター音楽に関する正しい記録を残す意義と必要性」を説いて、カラスの長女ウィルヘルミネ・チューディックから貴重な(しかも膨大な)未公開資料を提供される。内藤はウィルヘルミネ(愛称ミミー)と親しく付き合い、インタビューして、今まで一般には知られていなかったカラスの逸話を訊き出していく。
 著者の人柄とミミーとの信頼関係が行間から伝わって、本作は心温まる好著になった。カラスはウィーンと家族をこよなく愛していた。作曲と録音でロンドンに長期滞在していたとき、カラスは言葉、食事、習慣の違いに戸惑い、かつ思ったように曲想が沸いてこない葛藤の中、毎日家族に電話をかけ、膨大な絵葉書を送る。そして、映画が完成しプレミア試写会が終了すると、カラスはウィーンにとって返し、家族との再会を喜び合い、キャロル・リードが懇願したカンヌ映画祭への同行をも断ってしまう。家族を愛した実直な天才、カラスの人物像が見事に浮かび上がる。
 しかし、当然のように『第三の男』がカンヌ映画祭のグランプリを受賞すると、カラスの想いとは関係なく、カラスは時代の寵児になってしまう。ローマ法王ピオ12世に招かれ演奏したり(カソリック信者のカラスにとってのこの栄誉は想像に難くない)、英国王ジョージ6世に招かれたり、やがて世界中からリクエストの声が挙がると、カラスは何ヶ月も家を空けて、世界中をコンサートで回るようになる。
 世界で大成功を収めた後、カラスは自分のホイリゲ(ウィーン独特の、ワイン&ビールの居酒屋)を開業する。ヨーロッパを始め、アメリカ、日本からも客は詰めかけ、店は大繁盛した。当時訪れた有名人は、キャロル・リード夫妻、オーソン・ウェルズ、ジーナ・ロロブリジタ、ロミー・シュナイダー、そして、トニー・ザイラーを初めとする地元オーストリアの著名人。シェーフ大統領、フィーゲル首相etcetc。カラスは乞われるままに「ハリー・ライム」のテーマを演奏し、そして、古いウィーンの調べも必ず弾いて、オーストリアの文化の紹介に余念はなかった。思えば、この頃が、カラスの人生のピークだろう。
 1965年、カラスは12年続けた店を閉めた。あちこちのホイリゲからの要請で、演奏会を開き店を空けることが多くなった。海外からカラスの演奏を楽しみに店を訪れる客の期待を裏切ることも一度や二度ではなくなり、それが理由だったという。
 カラスの余生はつつましいが幸せなものであった。1976年、無二の親友キャロル・リードを失うという悲しみもあったが、カラスはロンドンで執り行われた葬儀に出席し、45分間のチター演奏を行った。二ヵ月後カラスはウィーン州政府から、金の功労賞を受け、親友マティンコビッチのホイリゲで70歳の誕生日を祝った(カラスはリードと同い年だった)。    
 1980年カラスは病を得る。マルボロをこよなく愛したヘビースモーカーカラスの病名は、肺癌だった。
 そして、1985年、アントン・カラス永眠、享年78。
 遺体は、ウィーン市名誉市民墓地に弔われるはずだったが、生前のカラスの強い願いもあり、地元シーフェリングの墓地に葬られた。ウィーン市はその永久管理を申し出た。

 幸福な生涯。まさにこの言葉に相応しい人生だった。

 わたしは、本書を閉じ、そう思った。だが、しかし、実は気になる点があるのである。
 もう一冊のカラスの伝記本の存在である。


アントンカラス
『滅びのチター師 「第三の男」とアントン・カラス』

 軍司貞則 文藝春秋 1982(書影は文庫版)

 軍司貞則は著名なノンフィクション作家だが、ウィーン大学で学んでいた1977年から79年に取材した資料をもとに本書を書いた。アントン・カラス本人にも取材している。結論から先に述べよう。2部構成の本書、第1部「栄光のチター」は内藤の著作とほぼ同様の内容だが(ミミーに取材した内藤のほうが、多くの生の情報を得ている)、第2部の「抹殺されたカラス」は全く別の人生を語っている。それは、失意と挫折の人生なのだ。これはどういうことなのだろうか。
 第2部「抹殺されたカラス」は、カール・クラールという自動車教習所の指導員の話から始まる。クラールは元ジャズドラマー、ウィーンのアパートで軍司の1階上のフロアに住んでいた。クラールは軍司の飲み友達で、ある日(1978年の4月)、たまたま話題がアントン・カラスに至ると、クラールはカラスがチター奏者であること以外はなにも知らないという。まさか。軍司は追及した。クラールは本棚から、音楽辞典や音楽家名鑑を取り出し、それらにアントン・カラスのことが一行たりとて書かれていないことを示してみせる。さらに『第三帝国から第三の男まで』という大著には、キャロル・リード、オーソン・ウェルズ、アレキサンダー・コルダ、その他『第三の男』に関して詳しく紹介され、ロケの写真もふんだんに載っていたが、アントン・カラスの名前はどこにも載っていなかった。
 軍司は信じられず、ウィーンの目ぼしい本屋を片っ端から当たった。「アントン・カラス」に関して、一行でも書かれている本はないか」。しかし、そんな本は一冊もなかった。
 かくして、軍司はその理由を探るべく調査を開始する。
 さて。
 ここで、わたしは首を捻る。『第三の男』はカンヌ映画祭でグランプリを獲得した映画だが、オーストリア映画ではない。舞台はウィーンだが、主役はアメリカ人、登場するオーストリア人は、怪しげな医師と没落貴族(いずれも犯罪者)。オーストリア人にとって気持ちのいい映画ではなかったことは容易に想像がつく。
 乱暴な喩えだけど。
 1949年に終戦直後の日本を舞台にしたアメリカ映画が作られ、主役はアメリカ人、日本人にはけちな犯罪者の役しか振られず、ただ音楽を担当した津軽三味線の奏者だけが有名になった。1978年の時点で、その三味線弾きの名前がなおも有名かと考えれば、誰も知らなくたって不思議ではないのではないか。ましてや、オーストリアといったら、モーツアルトをはじめブルックナー、シューベルト、マーラー、ヨハン・シュトラウスを生み、世界一のオーケストラ、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団を擁する“クラシック音楽”国なのだ。三十年後にホイリゲのチター奏者の名前が忘れられかけていても仕方ないだろう。普通にそう思わなかったのだろうか。
 しかし、軍司は、カラスの名が忘れられたのには、他の理由があるのではないかと考える。そして、一つ明らかになったのは、一躍有名になりホイリゲの経営者となったカラスへの周囲のやっかみだった。カラスはホイリゲの営業免許を土地、店舗もろとも買い取ったのだが、その名義の書き換えがなかなか許可されなかった。カラスは無免許のまま営業を続ける。店は“海外”からの客で連日満員になり、周囲はますますそれを妬んだ。そして、無許可営業を理由に、開店4か月で店は営業停止処分を受ける。カラスは営業停止命令を無視して営業を続けるが、遂には司直の手が及び、千シリングの罰金を科せられる。そんなことが2回続き、怒ったカラスは時の首相に直訴するが撥ね付けられ、首相事務所(と軍司は書いている。そういうものがあるようだ)で、罵声を飛ばしドアをドンドン叩いたという。それでますます反感を買った。
 最終的にカラスは営業許可を得るのだが、完全に周囲からは孤立し、村八分状態だったという。これが事実なら、内藤敏子が描いた平穏で幸福な日々とは、丸っきり違う。多分、ミミーから聞いた話の中に、こうした内容は含まれていなかったのだろう。確かに、ホイリゲを閉めた理由には釈然としないものがあった。

 さらに軍司は、図書館で『第三の男』を繰り返し見て、あることに気付く。
 それは映画の後半部「マルク・オーレル・カフェ」のシーンで流れる音楽のことだった。
 軍司はこう、書いている。
 
 再び不気味な低音部を生かした東洋的なメロディが挿入され、緊張がより高まる。
 このメロディーは「第三の男」(ママ)の軽快さ、「カフェ・モーツァルト・ワルツ」の優雅さとまったく趣を異にしていた。この曲だけが異質なのだ。それでいて妙に心にひっかかる。私の魂をグイグイ揺さぶる。

(文庫版152ページ)

 軍司はその音楽をテープに録り、チター製造者ヨハメス・ホーファーを訪ねる。ホーファーはこのメロディを聞くや否や、

「これはチゴイネルのメロディです」
(155ページ)
 
 と言った。サラサーテの名曲「ツィゴイネルワイゼン」を引き合いに出すまでもなく、これはジプシーのメロディだというのだ。そして、ホーファーは,カラスという姓はハンガリー系だから、先祖にハンガリー人がいるではないか。それなら、チゴイネル(=チャルダッシュ)のメロディに親しんでいても不思議はないと指摘する。つまり、これはカラスの“血”の成せる業だ。
 軍司は直接、アントン・カラスを訪ねる。そして、あの曲はチャルダッシュではないのか、そして、先祖は東欧系なのではと尋ねるが、この質問は二つとも否定された。
 同じ音楽に関して、音楽家の内藤敏子は、こう解説している。

 アンナ(註;この映画のヒロイン、ハリー・ライムの愛人。アリダ・バリが演じている)はチェコ人。東欧の人。舞台はウィーン。この場面で奏でられる東欧風メロディーは、この場面だけに登場する。東欧人のアンナがウィーン人を愛した。愛すればこそ東欧人の血が目覚める。アンナの民族の心を、映画の集結(ママ)近くでカラスは奏でたのだ。アンナとハリーの最後の場面だ。キャロル・リードとアントン・カラスの計算された演出が素晴らしい。
(巻末資料21ページ)

 音楽の専門家の内藤は、このメロディーを東欧(チェコ)のものと理解し、そこにカラスの巧みさを見ているのが分かる。軍司はカラスの出自に結び付けたかったようだが、わたしは内藤の肩を持ちたい。カラス本人が否定しているのだし、それが自然だろう。
 軍司はこの章の大部分を割いて、カラスがハンガリー系だったので差別されたのではないかと推理する。実は、第1部「栄光のチター」から繰り返し使われているフレーズがある。それは「身長160センチのカラス」というもので、「身長190センチのキャロル・リード」との対比ばかりでなく、ちょっとしつこいくらい登場するのだが、その理由はなんとなく分かる。カラスがハンガリー系と推理する一文にこんな行があるのだ。アンリ・V・ヴァロアの「人種」(寺田和夫訳、白水社)から引いたアルプス人種(チェコ人、ハンガリー人)の特徴なのだが、

「身長1・63―1・64メートルで低い。身体はずんぐりしていて、太り気味、胴が長く、四肢は短い」
(176ページ)

 カラスが短躯なのはハンガリー人の血を引いているから。その伏線のつもりで繰り返したのだとしたら、いささかあざとい感も否めない。というのは、内藤敏子がこんなことを書いているからだ。

「父の家系は、祖父の父がハンガリー人の医者だったと聞いています。母方は皆ウィーンっ子ばかり。これはウィーンの街では大変めずらしい事です。誰もがウィーン人と思っているウィンナーワルツの生みの親ヨハン・シュトラウスもハンガリー人です」
(26ページ)

 軍司は手を尽くして、カラスの血の秘密を探ろうとした(それが差別の根源だと思ったからだろう)が、実の娘があっさりとハンガリー系と認めているのだ。

 2冊の本を読んで、わたしなりに分かったことを最後に記す。

『激動のウィーン「第三の男」誕生秘話 ――チター奏者アントン・カラスの生涯』
 身内しか知りえない逸話の数々は貴重である。しかし、父親の幸福な人生を信じたい娘が、不幸な事実を完全にカットしてしまったため、読後感は素晴らしいが、砂糖菓子のように甘く描かれてしまった感がある。。
『滅びのチター師 「第三の男」とアントン・カラス』
 民族差別という社会問題からカラスの生涯を描こうとしたのだが、それには余りに無理があると思う。しかし、カラスがウィーンでは決して愛されてはいなかったという事実には驚かされた。

 そして、カラスが今、ウィーンの地で忘れられているということは至極当たり前のことなのだ。そう思う。


           ガンダムと言えば唐沢俊一(2009/04/24)



 「ガセとパクリの定期便」でちらと紹介した、「岡田斗司夫のおたくWeekly」(裏の目コラム)も、唐沢のネタが満載だったので、チェックしてみた。

唐澤●だから全部は観られないんだったら、誰かがこれとこれだけは観ろということを教えなくちゃいかんですね。ガンダムだって全部観る必要ないでしょ。それを全部観なくては話にならん、というからオタク文化は疲弊する。押さえとくべきものを押さえとけばOK、という考え方にしないと、全部はとても観られませんよ。そのあたりでスターウォーズシリーズとかが未だに流行っているのは当たり前で、全作やったところで一晩でオールナイトで全作観られちゃうっていう。あのあたり手ごろな良さですよ。そこらくらいの知識を基盤にした上で、次作につなげていく。それが日本は下手なんです。新作ガメラ、結構なんだけど、旧作の、あの♪ガメラ~ガメラ~っていう主題歌をどっかに流す、っていうところあたりで残して繋げていかないと。

 わ! こいつは本当の馬鹿だ。「全部観る必要ないでしょ」ってどういう意味なんだよ。こいつは、オタクになるためには、その必要十分条件ってのがあって、コレとコレを抑えていれば、とりあえずオタクと認定されると思ってるらしい。しかも、それを認定するのは自分だと言いたいようだ。
 バッカだね~。オタクってものは、その“濃さ”を誇るもんじゃないのかい。「ウルトラマンオタクですが、レオは見てないんですけど」「ああ、あれは黒歴史ですから、見ないでもオK」なんて言うとでも思ってるんだろうか。いや、この発言は、今ごろになってガンダムについて語りたいと思っていながら、ガンダムを全部見てはいない自分の弁明に過ぎないんだな。

 唐沢俊一検証blogへのわたしのコメントに対して、kensyouhanさんがこんなコメントを返してくれた。

 個人的には唐沢が第2期ウルトラシリーズを見ているかどうかが気になります。昔は第1期だけ持ち上げていれば大丈夫だったんでしょうけど、最近では第2期も評価されてきてますから、ちゃんと見ていなかったとしたら、そのうち大変なことになるかもしれませんけどね。

 第2期の話で突っ込まれたときも、「全部観る必要ないでしょ」で逃げ切る気なのかしら。まあ、この先、あらゆるジャンルで、“雑学王”のスカスカぶりが曝されていくだろうから、この馬鹿のお手並をみ拝見するとしよう。


         知的財産管理技能士(2009/04/23)




 えー、
 
 以前、国家試験を受けるのだと大騒ぎしていたのを、ご記憶の方もいらっしゃると思います。

 3月8日に試験を受けて、合否発表が、なんと作日の10:00AMで御座いました。

 学科、実技ともに合格で、晴れて「知的財産管理技能士」となりました。

 ほっとしました(落ちたら大恥だよね)。

 さて、呑みにいこうかな。


    ぜんぜん無知無知カタツムリ(筒井康隆)(2009/04/23)



 唐沢の滅茶苦茶な誤読振りは、はっきり言って名人芸の域に達している。そこを買われて朝日新聞の書評委員に起用されたのか。その役目は充分に果たせていたな。

 2ちゃんねるにもロラン・バルトの『表徴の帝国』を思い切り誤読して言いがかりをつけている、唐沢の日記が紹介されている。

 624 :無名草子さん:2009/04/22(水) 13:25:47
『トンデモ本の世界U』(楽工社・刊行日 2007/09/27)で唐沢は、ピーター・ ミュソッフ著『ゴジラとは何か』を取り上げている。外国人が他国の文化を研究する際、よほど広範な知識がないと的外れになることを 指摘し、その例としてロラン・バルトの『表徴の帝国』を挙げている。
↓その内容は、この2002年の日記からのほぼ丸ごと流用だった。 http://www.tobunken.com/diary/diary20020705000000.html
『表徴の帝国』については、日本論を書こうとしたのではなく日本を使って エクリチュールの問題について書いたと著者が前置きしている。それを唐沢が理解していないための誤読がみられるが、それは措いといて…唐沢の文中の『表徴の帝国』からの引用部分だが、書名(訳書のタイトル)と 原著の発行年のみ記されていて、訳者や訳書の発行年・出版社等の記述は無し。 引用された文章は、別の章の意味の異なる文を勝手に合成し改竄されているので、結果『表徴の帝国』の本来の文とは意味が違ってしまっている。ちくま学芸文庫『表徴の帝国』(訳・宗左近)中の該当部分と比較してみてほしい。


 そこで、URLが掲載されている2002年7月5日の裏モノ日記を読んでみたのだが、ロラン・バルトとは全く関係ない、別のガセ(無知)ネタを見つけてしまった。

 パンチョ伊東氏死去の報。棺の中をのぞきこんで髪の毛を引っ張ってみたい、という裏モノは多かろうなあ。パンチョという名は当然パンチョ・ビラから来ていると思われるが、あのメキシコ革命の英雄は本当にデブだったんだろうかな。デブでヒゲのパンチョはウォレス・ビアリーの『奇傑パンチョ』(1937)が定着させたイメージだが、古すぎてこれがストレートに日本人のパンチョイメージだとは考えにくい。ペキンパー脚本の『戦うパンチョ・ビラ』ではユル・ブリンナーが痩せたパンチョを演じていたし。だいたい、メキシコではパンチョというと口ヒゲがシンボルらしいが、伊東氏にはヒゲがなかった。ヒゲ+デブで日本で有名だったのは、『ピンキーとキラーズ』のパンチョ加賀美氏か? そう言えば、日活無国籍アクションの極致とも言うべき宍戸錠主演『メキシコ無宿』では藤村有弘がデブ・ヒゲ完備で中国系メキシコ人(凄い設定)の殺し屋を演じていたが、この役名がもう、当然という感じでパンチョ・サンチェスであった。

 因みに「パンチョ・伊東」はあくまでもニックネームで、本名は伊東一雄。伊東氏はわが社の社員でもあり、社員名簿にも載っていた。プロ野球選手の広告起用に関しては、絶大な力を持っていて、私自身、星野仙一、山本浩二、中畑清の出演交渉をお願いした事実がある。いずれも、電話一本でOKだった。
 さて、気になるのは、この行。

 パンチョという名は当然パンチョ・ビラから来ていると思われる

 ええ! パンチョ・ビラなんて、一体どれだけの人が知っているのかね。しかも唐沢自身「デブでヒゲのパンチョはウォレス・ビアリーの『奇傑パンチョ』(1937)が定着させたイメージだが、古すぎてこれがストレートに日本人のパンチョイメージだとは考えにくい。ペキンパー脚本の『戦うパンチョ・ビラ』ではユル・ブリンナーが痩せたパンチョを演じていたし」と書いているくらいで、全然「パンチョという名は当然パンチョ・ビラから来ている」ことの根拠になっていない。
 さらに「ヒゲ+デブで日本で有名だったのは、『ピンキーとキラーズ』のパンチョ加賀美氏か?」なんて書いているけど、そうだとしても、なんで加賀美邦明がパンチョ加賀美という芸名を名乗ったのか全く説明できていない。
 いや、唐沢と同世代の方なら、隔靴掻痒でイライラしてるのではないか。当時の日本人にとって、パンチョと言ったら、ビラでもなければ加賀美でもない、トリオ・ロス・パンチョスに決まっているじゃないか。リンク先のamazonにも日本で最も人気のあるラテン・コーラス・グループ、トリオ・ロス・パンチョスと書かれている通り、彼らは一世を風靡した。そして、多分、ジェス・オルテガ(プロレスラー)などと並んで、一般の日本人にとって、初めての生メキシコ人だったのではないかしら。
 
 パンチョ

 こんなレコードも出ているのにねえ。リーブルなにわの上では売っていなかったのかしら。


          せっかく参照元を書いたのに(2009/04/21)



           読めないのかしら

 18日の裏モノ日記に妙な記述があった。
 
 あと、フィジー大統領の名前がイロイロ、というのが目についた。フルネームはラツ(酋長の意)・ジョセファ・イロイロ。 イロイロな名前が世界にはあるものである。ただ、イロイロというのは姓ではないらしく、ミドルネーム。 姓はちゃんとあるのだが、フィジーでは姓はあまり重きを置かれず 戸籍に書かれるくらいで普段は使わないらしい。だから、イロイロ大統領という表記は本来おかしいわけで、ファースト・ネームでジョセファ大統領と呼ぶか、あるいは並記で ジョセファ・イロイロ大統領、と呼ぶのが正式のようだ。 イロイロ大統領ではオバマ大統領をフセイン大統領と書くようなものだろう。……とはいえ、記者としては“イロイロ大統領”と書きたい誘惑に勝てなかったのではないか、と想像する。
http://www.njg.co.jp/blog_morioka.html?itemid=759


 珍しく参照元のURLが書かれていて、人間、学習するものだなあと感心して、早速このサイトを見てみたら。

 さて、イロイロ大統領、正式な名前は、“Ratu Josefa Iloilovatu Uluivuda”である。このうち、「Ratu」はフィジー系の族長クラスの称号で、残りが「第一名前,第二名前,姓」という順になっている。フィジー人は「姓」の概念が希薄な国である。このこと自体は特に珍しいことではなく、アジアの非中国文化圏では、姓を使用しない国が多かった。フィジーの大統領も、「Uluivuda」という姓は法律的な時を除いては使用せず、しかも第二名前は省略形にすることが多い。その結果、自らも「ラツ・ジョセファ・イロイロ」と名乗るため、“イロイロ”が名字と誤解されることが多い(記事を書いている記者も理解しているかどうか)。
「森岡浩の 人名・地名おもしろ雑学
 
 せっかく、参照しながら、どうしておかしなことを書くのだろう(改竄癖がついているのか)。日本語がちゃんと読めないのかしら。

 × フルネームはラツ(酋長の意)・ジョセファ・イロイロ
 ○ 正式な名前は、“Ratu Josefa Iloilovatu Uluivuda”である

 × イロイロというのは姓ではないらしく、ミドルネーム
 ○ 「Ratu」はフィジー系の族長クラスの称号で、残りが「第一名前,第二名前,姓」という順になっている

 × ジョセファ・イロイロ大統領、と呼ぶのが正式のようだ
 ○ 自らも「ラツ・ジョセファ・イロイロ」と名乗るため


 ねえ……。森岡浩氏がちゃんと調べて書いていることを、なんだってわざわざいじくってガセにしてしまうのだろう。いかにもというのは、この一文だ。

 イロイロ大統領ではオバマ大統領をフセイン大統領と書くような ものだ

 オバマ大統領のフルネームは、バラク・フセイン・オバマ・ジュニア。つまり、イロイロがミドルネームじゃないと、このネタが使えないからだろうな。オバマのミドルネームがフセインなんてことは、誰だって知っているだろうに。そもそも、イロイロ大統領の第二名前は“Iloilovatu”なんだし。
 唐沢がネットからネタをパクって改竄して、劣化コピーにしてしまう工程が垣間見えたような気がする。


           ガセとパクリ定期便(2009/04/20)




 唐沢が17日の「ガセパク定期便」にこんなことを書いている。

 朝目が覚めたら9時。ぐっすりとよく眠ったもの。 眠れるうちは大丈夫という気もする。星新一氏や赤塚不二夫氏のように何年も眠ったまま死ぬというのも、まあ悪くないかとも思う。

 星新一は何年も眠ったまま死んだのか。これまた寡聞にして知らない。いや、倒れられて意識が戻られぬまま亡くなったとは聞いていたけどさ。検索してみたら、こんな文章に出っくわした。

 その星新一は、十年前からもう小説の執筆をやめていた。千篇のショート・ショートを一生の間に書く、と言っていたのが案外早くその千篇に達してしまい、それで“もうやめた”と執筆をやめ、また『進化した猿たち』でおなじみのひとコママンガのコレクションも“もう飽きた”といってやめてしまう。それを聞いたとき、星新一らしい淡白さだ、と思って笑ったものだが、その頃からもう、執着ということに体が耐え切れなくなっていたのではなかったか。それから聞くうわさが、どれも「眠り病にかかったらしい」「ずっと寝たきりで、頭がはっきりするのは一日数時間のものらしい」「ちょっと驚くくらい老けた」「起居もままならぬ容態らしい」などというものばかりで、聞いていて痛々しい限りだった。古い星ファンの志水一夫氏から亡くなった知らせを聞いたとき、むしろ、これで救われたか、という感じがしたくらいだった。
唐沢俊一の裏の目コラム『星新一追悼』

 星新一は、十年前に筆を折り、「眠り病にかかったらしい」「ずっと寝たきりで、頭がはっきりするのは一日数時間のものらしい」「ちょっと驚くくらい老けた」「起居もままならぬ容態らしい」という状態だという。あくまでも噂という書き方をしているが、これを以って唐沢は「星新一氏のように何年も眠ったまま死ぬ」と書いたのだろうか。
 星新一は1996年の4月に自宅で倒れ、意識が回復しないまま、翌1997年の12月30日に亡くなった。意識不明だったのは1年8か月。「何年も眠ったまま死ぬ」といった状況ではなかった。
 かつて自分で書いた噂レベルの情報を、そのまま事実に変換して「星新一氏のように何年も眠ったまま死ぬ」と書いたのだとしたら……。他人を騙すなら、まず自分からですか。


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