このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。
・
本当にそうだ!

書庫の整理をしたので、改めて蔵書の内容が把握できたのだが、ハードカバーのエッセイで、東海林さだおの本が、67冊もあることが分かった(そのうちの28冊は『あれも食いたいこれも食いたい』シリーズである)。
そして、この文藝春秋のエッセイも三十数冊。『ショージ君のにっぽん拝見』が1971の刊行だから、37年も続いていることになる。凄いなあ。
で。その最新刊の『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』であります。これが、あなた、本当に、心の底から面白いのよ。装丁が和田誠というのが唯一の瑕だが、それを補って有り余り捲くる内容。
突如ローカル線の旅にハマった著者は、敢然と旅立つのだが、なんせ突然ハマったので、“ローカル線の旅”はまだ一度も実行していない。
ということで、水戸発袋田行き水郡線の旅に突然旅立つのである(……ん。おかしいか? ま、いいか)。
缶ビール片手に行き当たりばったりの車上の人になるのだが――
おりからの下校ラッシュでビールはおろか座れもしない。立ったまま、旅の道連れI田青年(編集者)と旅のプランを錬る。
「水戸駅から十三個目の山方宿駅というところに『淡水魚館』というのがあります。淡水だけの水族館のようですよ」
「淡水の水族館?」
「岩魚とか山女とか鮎とか鮒とかじゃないですか」
「そういうもの、見たい?」
「いまさらねえ……」
しかし、観光スポットと呼べるものはほとんどないという状況。
さらに――
「納豆工場というのがあります。『茨城名産 舟納豆』の工場と販売店」
「そういうの、見たい?」
「……」
とは言えと妥協して『淡水魚館』に赴けば、なんと体長2メートルはあろうかという、巨大山椒魚3匹に出会うことが出来たのだ。なんにも期待してないもんねという態度でこれだから、そりゃ、感激しただろうことは充分に伝わってくる。
これで充分と納豆工場は無視
と、いかにも行き当たりばったり風でよろしい。缶ビール呑みつつ夕景を愛で、袋田に到着して、すっぽん料理屋に直行、鯨飲馬食して一泊。
さらに翌日、袋田の滝に赴けば、これがなんと高さ百二十メートル、幅七十三メートル、三段構造の巨大滝。知りませんでした。凄いですねえ。
満足して帰途につき、水戸から上野にというのを急遽変更して『金龍菜館』で水戸黄門ラーメンを食するという、素敵なローカル線の旅が、まだ冒頭の第一章。なんて中身の濃い本なのかしら。
最終章の対談に椎名誠が出てくるが、東海林さんなぜかけんもほろろで、小泉武夫農大教授に比べて、あんたなんて甘いよといじめるのが小気味良い。
三十数年続くだけのことはあるし、これからもずっと続いて欲しいシリーズです。
『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』 東海林さだお 文藝春秋 2008

・
と、いまきた読売新聞の朝刊に書いてありました。
事務局からのメールはまだなのに。
大賞;
『女王国の城』
有栖川有栖 東京創元社
・
ちょっと言葉が思いつかない。
なんのつもりなのか。いや、小島一志の今回の愚行についてだが。
「義によって芦原会館に挑戦」
あくまでも「義」である。
「義」とは人の道。だから「仁義」ともいう。故あって「義」に基づき、我々は芦原会館に挑戦を宣言する。
昨日、息子の大志が芦原会館芦原英典館長に「試合」または「私闘」を直接申し入れた。1対1。「試合」ならばノールール。「私闘」は手段を選ばず。大志は極真会館黒帯ではあるが、この挑戦は極真会館とは直接関係のない個人の肩書きでのものであり、「義」を通すために大志自らの意志で望んだことだ。
もしくは、私が主宰する某会会員7名対芦原会館支部長複数による団体戦も息子は英典氏に提示したはずである。勿論「試合」はノールール。
「ノールール」とか「手段を選ばず」とか、なにを粋がっているのだろう。これは単なる脅迫であり、小島一志は物書きとしての人生を自ら終えてしまった。いや、人生そのものも終えてしまうかも知れない。
・
ミステリの完成度

おっと、びっくりしました。
円堂都司昭さんの新作書評集『「謎」の解像度』を読んでいたら、小生の名前が出てきたんだもの。
有栖川有栖の『女王国の城』と米澤穂信の『インシテミル』を俎上に上げて、小生が『インシテミル』に厳しい言葉を浴びせているという内容で、それは間違ってはいないのですが。しかし、どうも、話がミステリの 完成度という秤になってくると、うーんとクビを捻ってしまうのです。
小生が『インシテミル』に辛い点をつけたのは、“完成度”以前に、設定を謎と考えないという姿勢に対してなんですね。
分かりやすい例として、シャーロック・ホームズの『赤毛組合』を挙げて論を進めてみましょう。
『赤毛組合』の謎は、なんで赤毛の人間を公募して、つまらない労働に従事させたか(さらになんでいきなり解散したか)という「設定」だったと思うのです。採用された赤毛氏がなんで百科事典の丸写しを指示されたかは、謎ではなかったはず。つまり、百科事典じゃなくてロンドンタイムスじゃなかったのはなぜなのか、なんて疑問は提示されませんでした。
『女王国の城』の謎も、なんでこんな閉鎖空間に閉じ込められなければならんのだ、というのがメインの謎で、そこで発生する連続殺人事件は、その謎に付随する「コンテンツ」にしか過ぎないと思うのです。
ところが『インシテミル』は、設定は置いといて、そのコンテンツの謎解きがメインになる。まさに「百科事典なのはなぜだ」という謎なのですよ。
明かされた真実が、『女王国の城』では素晴らしい謎解きとミスディレクションを提示してくれているのに比して、『インシテミル』の場合は到底納得できないお粗末なものでした(いっそ、狂人の企んだことと言われた方が、納得はできないけど、許せたと思います)。
ネットでこうしたミステリを「パズルなんだから、その点は関係ない」といった趣旨で擁護した意見が多数見られたのには呆れましたね。
暴言を吐きたいところだけど、やめておきましょう。
ま、こうした瑕疵も「完成度」に係わるというならそのとおりなんですが。
・
やっと新作をお届け出来そうです。
創元社の編集から電話があって、連休明け早々に打ち合わせして、例の原稿を入稿したいとのこと。夏から秋にかけての刊行のために急がねばということでした。引越しも終了し、新たな業務も動き出すことになり、また忙しくなりそうです。
なお、皆様注目の“例の件”に関しては、コンプライアンス上の理由から、その首尾に関して一切発表は出来ません。粛々と進行しているとしかご報告出来ません。悪しからず。
・
昨夜は、静岡トップセンタービルB1の「ミュンヘン」でお世話になった皆々様をご招待してのパーティ。100人近く集まったかしら。
で、その後は「L」で乾くるみさんと呑みました。新作長編も期待できそうなお話。
酔った勢いで例の、杜撰雑学王の話に及び、理学部数学科卒の乾さんと理工学部電気工学科卒の小生、唐沢俊一の理科系的センス皆無のガセビアで盛り上がりました。
カラオケ一曲。「クラリネットを壊しちゃった」。
これはガセビアがらみじゃなくて、「クラリネット症候群」からみで。
さて、そろそろ日通がくる時刻だ。
・
ご親切な方がメールを下さった。
『わが闘争』のエントリ中で示した、“The War of the Worlds”の表紙イラスト。あれは地球制服をせんと登場した火星人の姿ではなく、ラスト地球の細菌に死滅してしまった火星人の姿なのだそうだ(表紙でネタバレしてるわけですね)。本来は国立科学博物館の画像のように立っているのだが、死んで倒れている姿なのだとか。
しかし、どちらにせよ、いやだからこそ、立って歩くタコだと思っていた人間だ、あのイラストを見て、タコと言うよりクラゲじゃんと思う可能性は高いのではないかしら。
ところでよく見ると、この表紙イラストの火星人(の死体)、目と口、それに触手の位置からして、烏賊のように見えるんだが。
・
ヒトラーは『宇宙戦争』を読んだか。


唐沢俊一の著作『キッチュワールド案内』(早川書房)の9ページに、ちょっとユニークなヒトラー論が書かれている。その部分を引用しよう。
彼の著書『わが闘争』の中で、たぶん、もっともユニークな表現なのが、ユダヤ人のことを“地球を落とし込もうとしているクラゲ”とののしっている部分である。 ヒトラーはクラゲが嫌いだったのだろうか。それにしても、クラゲが地球をねらうイメージというのは何か?
無責任に想像をめぐらせれば、ウエルズの『宇宙戦争』を若き日のヒトラーが読んでいて、あの火星人の姿形をタコでなくクラゲと見て、それをユダヤ人にあてはめ、“地球を落とし込もうとしている”という
イメージで言葉にした、とも思える。
“地球を落とし込もうとしている”というのは妙な言葉だが、唐沢は語彙が貧弱な分、造語で補うきらいがあるので、ここでは突っ込まない。問題は「クラゲ」という語から、なんでいきなりウエルズの『宇宙戦争』を連想したのかである。
『わが闘争』の中で、「クラゲ」という言葉が使われているのは二箇所である。角川文庫版(黎明書房版の改訳;平野一郎、将積茂 訳)から、引用しよう。一箇所は第二章「ヴィーンでの修業と苦悩の時代」の中の“ユダヤ的詭弁”という文章。(角川文庫版の)上巻102ページから引用する。
くらげのような粘液で手をつかみ、くらげのような粘液が指の間をすべりぬけると、次の瞬間にはふたたび合流して結合する。
ユダヤ人は争いに負けそうになると、一転馬鹿を装い、すり抜けるという主旨の文章の中の言葉である。「くらげのような粘液」であって、「クラゲ」そのものではないが。
もう一箇所が、問題の、唐沢が引用した部分で、第十三章「戦後のドイツ同盟政策」の中の“ユダヤの反独的世界扇動”と題された文章。下巻349ページから引用。
わが民族および国家が、この血と貨幣に飢えているユダヤ人の民族暴虐者の犠牲に供されれば、全地球はこのクラゲどもにろう絡されてしまうだろう。
ここでは何故か「クラゲ」と片仮名だが、ここは翻訳者のミスだろう。ここでの主旨は、マルキシズムとユダヤマネーで世界制覇を企むユダヤ人(ヒトラーはフリーメーソンもユダヤ人に乗っ取られていると主張している)に抵抗しているドイツがユダヤに乗っ取られたら、世界はユダヤのものになってしまうという内容である。
で。
いくらなんでも、これが『宇宙戦争』から書かれた文章というのは乱暴じゃないか。だって、ウエルズの火星人はクラゲじゃなくてタコだろう。
あなたは、そう思わなかったか?


ウエルズの火星人の一般的なイメージは左ではないか(国立科学博物館の画像)。だから前谷惟光は『火星の八ちゃん』で右のようなキャラクターを創造したのだろう。唐沢も同様のイメージを抱いていたのではないか。
ところが、実際にウエルズが考えていた火星人は―

なんである(H・G・ウエルズ画)。
因みに、初版本の表紙は―

火星から地球を占領に来た火星人の図というより、海産物を輸送中のトラックがひっくり返って、積荷のなんかしらんブヨブヨした生き物(クラゲ)が撒き散らされたというような画ではないか。
恐らく、唐沢はこの画を見て、これではタコじゃなくてクラゲじゃないかと思ったのではないか(目に見えるのは傘の模様)。その想いを、ヒトラーの文章を読んだときに思い出し、年代をチェックすればなんとか当てはまるとなり、あんな珍説を書いたのではないかしら。
『わが闘争』の中でユダヤ人は「ペスト菌」「吸血虫」「吸血鬼」「寄生虫」「毒蛇」「まむし」「死体の中の蛆虫」にたとえられ、「クラゲ」なんか生易しい方なのだ。
・
彼我の差に涙

マーティン・ガードナーを最初に読んだのは、中学生時代だったかしら。『自然界における右と左』(紀伊國屋書店 1971年)は学生時代の愛読書だった。本当に息の長い方であります。
本書は、ガードナーの真骨頂、「インチキ科学」を検証し、ブッた斬るという痛快な書であります。
「と学会」がわが国でも同様のことをしていますが、奇矯というか狂人というか、余程の馬鹿じゃなければ信じないトンデモ本を斬るのとは異なり、ガードナーが俎上に上げるのは、「ベツレヘムの星」「フロイトの夢判断」「さまよえるユダヤ人」といった、トンデモと見做されてわけではない事象から、「カニバリズム」「リフレクソロジー」といった、考えもしなかったもの、そして、お馴染みの「UFO」「自由エネルギー」といったもので、それを凄まじいまでの教養と知性で、バッタバッタと切り捨てていくんであります。
それは大槻教授のヒステリックな科学信仰とは全然違う、冷徹で科学的な姿勢。そして、世界は「トンデモさん」が考えているより、ずっと素晴らしいものであることをも暗示してくれるのですね。
ガードナーが所属しているCSICOP(サイコップ)には、フランシス・クリック、マレー・ゲルマン、スティーヴン・ジェイ・グールド、アイザック・アシモフ、カール・セーガン、そして、ユリ・ゲラーとの訴訟問題で団体運営に支障をきたさない様にと脱会した、ジェームズ・ランディといった、碩学の名に恥じない面々が所属しています。
Wikipedia サイコップから。
もしも、「と学会」が、こうした人たちに、自分たちの組織を紹介するとき、重要な構成メンバーに唐沢俊一のような、ガセとパクリで成立している、無教養で無能な卑劣漢が混じっていることをどう説明するのだろうか。これは皮肉ではありません。素朴な疑問です。
『インチキ科学の解読法』 マーティン・ガードナー 太田次郎 訳 光文社 2004
・
とんでもない設定意外な解決


さて、書影左は、あの『イニシエーションラブ』であります。これは文春文庫版ですが、マニアックなミステリファンばかりでなく、小生の息子、娘のような普段ミステリなんか読まない(親父の本は強制的に読ませる)連中までが、嬉々として読んだのであります。
さて『リピート』に続き、今回は新作のオリジナル文庫版『クラリネット症候群』が発売されました。まあ、シリーズ物かと見紛うばかりの表紙レイアウトなんですが、なんとこれ徳間文庫なんであります。
文庫で乾ファンになった読者にとって、「あら? 乾さんの新作だ!」ってことで分かり易くて非常によろしいんでしょう。でも、イラストの図柄、レイアウト、ロゴタイプ、ここまで踏襲すると、そんな分かり易さより、間違えて買うことを期待したと言われても弁明のし様はないんじゃないでしょうか。
いや、便乗本の真似っこってのは、みっともないけど、そんなに珍しいわけではない。よくありますね、なんでもかんでも「トンデモ」と付けりゃいいみたいな。しかし、今回は正真正銘の「乾くるみの新作」なんだから、そんな謗りは受けないとは言え、これって、乾さんに失礼なんじゃないでしょうか。
どうして、自分の新作を自作のバチモンみたいにして売らにゃならんのか。
一緒に収録されている『マリオネット症候群』を読み直して、改めてこの作者のしたたかぶりに舌を巻きましたが、新作『クラリネット症候群』の方は、なんだってこんな設定思いつくのよというお話。しかも、例の『クラリネットを壊しちゃった』に倣った暗号小説でもある。と言っても、そこは暗号そのものよりも(28文字自粛)。前半でさりげなく張られた伏線が、後半に大胆に回収される手腕に唸らされます。しかも、『マリオネットの―』斬って捨てるようなラストと違い、こちらは……。
なにも、『イニシエーションラブ』に引っ掛けて売らなくてもと思いますが、この世界売れたが勝ち(某編集者の言)だそうですし。
『クラリネット症候群』 乾くるみ 徳間文庫 2008