ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

            パクられた?(2010/06/08)




 昨年、某週刊誌の連載企画のプレゼンをした。ちょっと自信のあった企画だったのだが、没。まあ、それは仕方ないのだが、昨日、書店で、全く同内容の書籍を見つけた。今年の4月25日が初版なのだが、偶然の一致なんだろう。そう思いながら、本を手にとっておどろいた。なんと腰巻、裏表紙に書かれたキャッチが、プレゼンしたときに提出したものと、全く同じなのだ。まさか、パクられた?

             洒落にならんぞ!

 徹底的に追求する所存。


          ベルリン・コンスピラシー(2010/06/02)



            久方ぶりのサスペンス

           ベルリン

「コンスピラシー」は陰謀のことだが、原題は“Charged with Murder”。「殺人罪に問われて」とでも訳しましょうか。ちょっと地味だけど、日本題名はよりはずっとまし。とても分り難いもんなあ。「ベルリンの陰謀」じゃ駄目なのですかね。
 と、苦言から入ってしまいましたが、なんせ、あのマイケル・バー=ゾーハーの新作、期待はいや増すばかり。
 内容は、ちょっとamazonを引用させてもらいましょう。

 ホテルで目覚めたアメリカの実業家ルドルフ・ブレイヴァマンは、不可解な思いにとらわれた。昨日はロンドンのホテルで寝たはずだが、ベルリンにいるのだ。間もなく彼は、62年前に仲間とともに五人の元SS将校を殺した罪で逮捕され、彼の息子ギデオンが一連の奇怪な事件の調査を開始する。父親の親友などの協力を得て、やがて暴き出す驚くべき国際的陰謀とは? 巨匠が実力を遺憾なく発揮した待望の新作エスピオナージュ。

 ゾーハーは執筆時70歳、巨匠とは言え、往年の輝きや如何にと思っていたのですが、驚くべし、過去の名作に勝るとも劣らない傑作でありました。
 なにより、そのテンポの良さ。徒にストーリーを引かず、どんどん進めていく手法には若々しいエネルギーを感じてしまいます。登場人物が矢鱈に多いので、それぞれのエピソードが、いささか淡白な印象になっているけれど、それが逆に物語りに現実味を与えているところなど、ゾーハーの新境地と言ってもいいのではないかしら。
 東西対抗という構造が存在したときは、右と左、+と-、どんでん返しが続いたところで、どちら側かで収束するのがお約束でした。しかし、まさに現在の政治構造は複雑で、一筋縄ではいかない。
 そして、こんなラストは今までなら考えられなかったもの。ショッキングではあるけれど、唯一無二であることには納得いたしました。

『ベルリン・コンスピラシー』 マイケル・バー=ゾーハー ハヤカワ文庫 2010


            日本語の作法(2010/05/25)



             「無断引用」について

            無断引用

 外山滋比古の『日本語の作法』の中に、気になる文章があったので、ちょっと引用してみよう。
「借用・引用・盗用」P.164

 ひとの書いた文章、著書から勝手に引用することを何でもないと思っている人がいまなお少なくない。ごく私的な引用、メモなら別だが、活字にして公表すれば盗用になるのである。最近も、新聞の投書の文章を引き写したような小説を書いた作家が盗用を認めさせられたという報道があった。無断で引用すれば盗用になることを知らなかったのか。

 当然ながら、外山氏は分って書いているのだろうが、甚だ誤解を招きかねない書き方である。引用は無断で行われてなんら差し支えない。この場合「無断」とは「著作者に無断」という意味である。たとえば、上記の外山氏の文章、外山氏には無断で引用している。
 問題になるのは、読者に対し、こうした文章を引用した事実を断らない(つまり「無断」)場合である。上記の文章をわたしが書いたオリジナルの文章と勘違いさせるような行為である。
 唐沢俊一という無能なライターが自著『新・UFO入門』に、「漫棚通信ブログ版」の文章をコピーし改竄して掲載した。その件をブログ主催者から指摘されたとき、唐沢は「無断引用したことを謝罪します」という卑劣な言い訳をして逃げ切ろうとした。引用なら無断でもかまわないのに、主催者に無断だったこと(罪にはならないこと)を勝手に謝って収束させようとしたのだ。その後自著に、主催者が悪質なクレーマーだったと嘘八百を書いた。そんな馬鹿が、連載を切られ、TV、ラジオのレギュラーを降ろされ、イベントは中止に追い込まれ、サイトも半閉鎖という状況なのに、相変わらず盗作を続けている。

 外山氏には申し訳ないが、勘違いされそうな表現だったので、一言書かせてもらった。

★唐沢俊一 検証blog (一部)
 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
 http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/
 http://tondemonai2.blog114.fc2.com/

『日本語の作法』外山滋比古 新潮文庫 2010


            綺想宮殺人事件(2010/05/19)



        ゲーデル・クリスティ・トリフォー


          「綺想宮」

 『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』と並ぶ4つ目の椅子を目指したミステリは数あれど、いずれも帯に短し襷に長しというか、まあそれに相応しい作品はまだ誕生していない。おれなど、目指すばかりでエントリすることすら適わない。

 最初からこの三作の名を挙げ、『黒死館』へのオマージュを謳った本作が一筋縄ではいかないものであることは、読む前から充分に意識していた。
 しかし、である。何故に探偵が森江春策なのか。さらに、菊園検事が登場するに至っては、本当に一体何故なのかと思いつつも、これにも重要な意味があるに違いないと、納得しながら読み進めた。
 奇怪な屋敷に集う奇矯な人物たち、しかも、容貌と行動、なんとか説明された段階で、次々と怪死していくのはお約束通り。さらに、それらは見立て殺人であり、なんとその謎に挑む、森江も菊園も、今回は何故かファイロ・ヴァンスもかくやというほどにぺダンチックなのだ。
 期待通り、この事件の真相は意外や意外というもだったが、実は、もう一度、見事にひっくり返され、明らかにされる事件の全貌は――。

 やられた、というのとも違う。なんだろう。凄いことを考えたものだと思う。矮小な現実に見切りをつけ、壮大な虚構世界に逃げ込もうと試みた人間にとって、「『黒死館』は偉大なる虚構の楽園だった。そうした逃避を謎そのものに据えた『虚無』は、東京という現実の街を巨大な闇の翼に覆れる空間に変貌させて見せた。そして、本作は――

 これは『黒死館』へのオマージュなのか。
 勝手な解釈だが、わたしには、もっと別の館へのオマージュに読めたのだが。つまらない、薄っぺらな現実が築く館は、見せ掛けだけの謎めいた館などより、遥かにミステリアスだという。
 しかし、「googleとwikipediaによるぺダントリー」という言葉は、正直堪えたなあ。

 瀬戸川孟資がクリスティの『アクロイド殺し』はフェアかアンフェアという次元ではなく、ミステリとして破綻してると看破したこと。客観的というものを「ゲーデル」が否定したこと。それをトリフォーが『アメリカの夜』で映像化したこと。そして、あらゆるミステリーはメタミスであること。
 それらを包括した超問題作というのはわたしの個人的意見。

 『綺想宮殺人事件』 芦辺拓 東京創元社 2010


          東京☆せんべろ食堂(2010/04/30)



              目から鱗の飯屋酒

             せんべろ

 いや、食堂というのは結構気の利いた呑屋なんだよね。呑屋ガイドなんかにも、何軒か紹介されてたりする。でも、その呑屋ガイドも、昨今はなんか有名店を並べただけじゃんなんてのが多くてね。なんて、ぐだぐだ言いながら、本書を手に取ったと思いねい。
 参りましたね。こりゃ飯屋酒の集大成、ここまで徹底したものはなかった。無論、『つるかめ食堂』『山田屋』『お志ど里』『遠太』なんて超有名店は、なにを今更って感なきにしも非ずだけど、まあ、燈台下暗しじゃないが、神田駅前や新橋に、朝からやっている呑屋がこんなにあるとは知らなんだ。
 そんな中に、以前から気になっている店が取り上げられていた。池袋へいわ通りの『居酒屋食堂東京一』という店だ。拳道会の道場に通いだしてはや十年、すっかり土地鑑の出来た池袋で、なにかこう入りにくい一店だったのだ。店構えはかくの如し。
 
 東京一

 ね。なんとも実直な飯屋という感じでしょう。時分時、煮魚かなんかで一杯やってたりすると、定食を食いにきた客に、露骨に邪魔者扱いされそうな佇まい。しかし、本書の紹介によれば、「本マグロの中オチ」や「豚の角煮」なんかで呑んでいる客もいるとか。というわけで、13:30ころ、恐る恐る入店したのだが。
 おっと。なんだいこの店は、小上がり、カウンター、テーブル席、壁にびっしり貼られた品書きは、紛うかたなき居酒屋のもの。久保田千寿、浦霞、八海山といった銘酒から、焼酎ビールサワー、なんと一合140円の安酒なるもの(日本酒)も。そうだ、本書では焼酎の水割り140円と紹介されていたが、日本酒なんですね。
 食事の客が3人いたが、ビールなど呑んでいて一安心。カウンターに座り、まず酒を注文。実はこれが安酒だったのだが、なに普通の醸造酒。ぐいと飲み干し八海山をに切り替える(本日一合380円也)。本マグロ中オチ、生ラッキョウ、豚角煮と定番料理を注文し、酒もお代わりして、2000円でお釣が来たよ。年中無休で、夜は24時までといいながら、客がいればずっと営業しているのだと。なるほど、本書の記述に嘘はなかった。
 さて、では本日はどこぞに参ろうか。
 飯屋がおれを呼んでいる。

『東京☆せんべろ食堂』 さくらいよしえ メディア・ファクトリー 2010


              厠の怪(2010/04/27)



           期待通りというか予想通りというか


              厠

 タイトル、執筆者の面子、カバー写真。どうせ、こんな話だろうと思って読んだら、本当にそんな話だった。だから、つまらないはずがない。いや傑作ぞろいなんであります。
 なんせ副題が、「便所怪談競作集」。「便所怪談」というジャンルがあったのだね。居並ぶ怪談はかくの如し。
『便所の神様』京極夏彦
 臭い穢い怖い。ここが何処で主人公は何者なのか、そんな説明なんか一切はしょり、蛇とか蛆とか腐った母さんとか骨になった弟とか、便所怪談一直線。そして、この唐突なラスト(というかラストの感想)。こんな話子供のとき読んだら、絶対夜一人でお便所にいけなくなる。
『きちがい便所』平山夢明
 もうタイトルで勝っているよなあ(なにに?)。本当に穢い話。便所の話だから、一ひねりしてお花畑の話にしましょう、なんて姑息なことを考えずに、王道を行ったのだな。便所に住まうようになった父の痕跡が、家のあちこちに。そして、ついに、わたしがカレーをよそって食べようとしたら、その皿にくっきりと……。ここまでやるかね。
『盆の厠』福澤徹三
 少年時代のエロスも厠がからむとこんな話になるのだなあ。しかも便所でないところから怪異が現れるショックは本当にお腹が痛くなりそう。
『糜爛性の楽園』飴村行
 うわー、嫌な話だなあ。飴村行は、なんせあの『粘膜人間』の作者、そんな人物が便所をテーマに書いたんだからね。凄いというかなんというか、所詮人間は食欲と性欲と排泄欲に収束するんだってよく分る。近親相姦も獣姦も関係なく交尾しまくる主人公は、もう神々しく見えてくる。こうなると便所まで美しい。物凄く嫌な話だけれど。
『トイレ文化博物館のさんざめく怪異』黒史郎
 トイレ博物館なんて、本当にどこかにありそうだよな。ところが、ここに陳列されている便所、どれもこれもなんかおかしい。イノースピシャス・ピックなんて言葉、無知にして知らなかったが、そうか、そんなものが高額で取引されているのか。しかし、ラストは感動的。便所ではあるが。
『「あーぶくたった――わらべうた考』長島槇子
 人は食物にもなり、食物ならばこそ糞便にもなり、糞便もまた人であるという、もの凄いお話。惨たらしく殺されようが、いつか再び便所の糞壷の中で見える日がくる。そういや、便所コオロギ(竈馬)を忌み嫌うって人が多いですね。鎌倉なんかうようよいたが。
『隠処』水沫流人
 うーん、いい話だなあ。こうして人は大人になっていくのだなあ。そして、あの便所のことも全部忘れてしまうのだろう。
『縁切り厠』岡部えつ
 あの岡部えつの便所怪談である。『枯骨の恋』という本当に嫌な話ばかり集めた短編集の作者。それが便所をテーマにしたら、ああら驚き、感動短編に仕上がっている。便所に籠もる話なのでなんか滑稽だけど、最後の笑顔なんかたまらんよなあ。
そして、
『学校の便所の怪談』松谷みよ子、『厠の乙女――便所怪談の系譜』東雅夫で、こうした便所怪談のルーツを解説してくれる。
 まあ、贅沢でユニークで臭くて穢くて怖い短編集であります。
『厠の怪』 東雅夫編 MF文庫ダ・ヴィンチ


         南の子供が夜いくところ(2010/04/16)



           ずうっと昔のいつかの夜に

           南の子供

 傑作。
 本当に、恒川光太郎は面白い。「マジックリアリズムの傑作」なんて惹句が添えられているけれど、そんな言葉では到底この物語の物凄さは伝えきれないだろう。
 少年時代鎌倉で過ごしたので、おれは夜の海というものに簡単には説明できないような思い入れがある。海は未知の時空へ誘う巨大な入り口でもあったし、街とも山とも違う人知の及ばない世界への入り口でもあった。真夏、縁日の夜、砂浜には数々のテントが張られた。移動遊園地、サーカス、蝋人形館、鏡の迷路、いくら遊んでも遊びきれず、ついにたどり着けない電飾も眩いテントが、砂浜の彼方まで続いていた。いや、むろん、由比ガ浜の狭っ苦しい海岸で、そんな広大なカーニバルが催されていたはずもなく、それは単に幼い目に何倍にも何十倍にも拡大された幻の風景だったのだろう。

 本書で紹介される、七編の連作短編(これまた、道尾秀介の『光媒の蝶』みたいに長編の各章なのかも知れない)は、しかし、そんな派手な真夏の夜の夢を描いたものではない。しかし、どんより暗い夜の海の、濃密な潮の香りを感じさせる物語なのだ。
 表題作『南の子供が夜いくところ』は、湘南海岸をドライブする男の回想から始まる。ワーゲンのマイクロバスの屋台の客である親子三人は、一家心中を見咎められ、三人ばらばらに未知の知に送り込まれる。現代日本の現実から、巫女に導かれトロンバス島に送り込まれた子供のタカシは――。
 続く『紫焔樹の島』では、魔物に守られた島に流れ着いた白人と島の少女との交流、島を支配しようとする暴漢たちと疫病による滅亡までの悲劇を描き、その少女の正体が明らかになることで、この連作の傾向が自ずと明らかになってくる。うってかわって『十字路のピンクの廟』はタカシの友達ロブにまつわる、捻りの効いた御伽噺。『雲の眠る海』では現実と幻想が交差し、トロンバス島が時空を越えた地にあることが暗示される。そして、『蛸漁師』では残酷な現実犯罪の世界に悪魔ヤニューを登場させ、そこから派生する皮肉な運命を描いてみせる。『まどろみのティエルさん』では、タカシを不思議の世界の住人として描き、読む者をほろりとさせ、そして、最終話『夜の果樹園』では、斬新なスプラッタ小説の展開から、タカシの父ケイタがタカシを迎えに来ることを暗示させる。
 どのお話にも、ずっとずっと以前、夢で見たような懐かしさがある。具体的なストーリーなんか全然覚えていなくとも、眩い電飾濃密な潮の香のように、感性を直接揺さぶるなにかがあるのだ。そう、そうしたおぼろげな記憶のように、七編の短編、広大な大河小説のさわりのような趣がある。
 恒川光太郎恐るべし。
 『南の子供が夜いくところ』 恒川光太郎 角川書店 2010


            光媒の花(2010/04/12)



           生きていくということは


             光媒の花

 面白い。
 いや、確かに面白い小説だけど、おれが面白かったのは、この小説の構造だ。

 昨今のベストセラーには、とにかく闇雲に読者を感激(感動?)させてやろうという、作者のあざとい作為見え見えのものが散見される。『光に向かって100の花束』とか『世界の中心で愛を叫ぶ』とかさ。感激したい、感涙に咽びたいという読者のリクエストに見事応えましょうというわけだ。そういった読者には、本作は感動・感涙連作短編と読めるだろう。おれもジーンときた口だけど。
 しかし、おれがこの作品に感動したのはもっと別の意味、つまり構造なのね。6編の連作(著者は長編と言っているが)、先の3作と後の3作、作品のトーンがガラリと変わる。悲惨な事件が続いた後、救いの光が差し込んでくる。こうした構造の意味を、著者は淡々とインタビューで答えているし、確かにその通りなのだろうが、おれはこの6作(3作+3作)のトーンが変化しながら、そこから受ける印象に全く変わりが無いことに驚いたのだ。
 最近、「言葉の持つ意味」ということちょっと考えるようになってきた。この作品で言うなら、今まで安易に「良心の呵責」とか「トラウマ」とか「反抗」とか使ってきた言葉が、とてつもなく無意味に思えるのだ。殺人を犯し、それが別の死を引き起こしながら、居直るでもなく後悔の念にかられるでもなく、黙々と人生を消費する生き方。凡百の作者なら、「十字架」とか「償い」なんて言葉で描写するだろうに。不幸・不運、それに対する幸福・幸運、それは等しく人生に満ちているもの。ある時点でそれを切り取り、嘆いたり笑ったりしながらおれたちは生きているのではないか。いや、死なない限り、そうする以外になにが出来るだろう。
『球体の蛇』で著者はミステリーの枠から抜け出してきた。そうして、本作では、残酷な人生の、残酷なればこその悲哀と愉悦を、こんな形で提示してくれた。
 凄いと思えば思うほど、もうミステリーはかかないのかしらと寂しくも思えてしまう。

『光媒の花』 道尾秀介 集英社 2010


           叫びと祈り(2010/03/17)



               傑作、だが
         
           叫び
            

 梓崎優(しざきゆう)の連作短編集。傑作である。だが。
 この作品集を傑作と言い切れるのは、『砂漠を走る船の道』『凍えるルーシー』の二編が収録されているからである。もうそれでお釣がくるくらいと言いたいのだが、問題はそのお釣である。
 順番に評す。
『砂漠を走る船の道』は第五回ミステリーズ新人賞受賞作。選考委員に絶賛されての受賞だが、それも当然と言っていい、チェスタトンを髣髴とさせる本格ミステリの傑作である。続いて『ミステリーズ!』に発表された『凍えるルーシー』は作風をがらりと変えたホラーミステリ。精緻な推理が展開されながら、ラストには悲鳴を上げそうな恐怖が待っている。これが凄い。ゾッとするといった類のものではない。真の恐怖。
 この二作には圧倒された。そして、作者梓崎の豊かな才能の可能性に期待充分で、本書を手に取ったのだ。
 正直に言わせていただくなら、書下ろしで本書に収録された『白い巨人』『叫び』『祈り』の三作にはさほど感心しなかった。既読二作の桁外れの出来映えに比べたら、これは余りに普通のミステリではなかろうか。
『白い巨人』
 真夏のスペインの描写が素晴らしい。ここに叙述トリックと密室からの人間消失に関する推理合戦、そして、甘酸っぱいユーモアが効いたオチが用意されているのだから、欲張りすぎといってもいい作品なのだが。人間消失に関しては、泡坂妻夫に『凶漢消失』という大傑作がある。あれを超えられなければ、このテーマはかなり苦しいと思う。しかも、最後に語られる真実は……。
 先日読んだ『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』と、あの『六とん』を思い出しちまった。そうか、これはバカミスなのか。
『叫び』
 事情に暗い秘境での閉鎖空間の中で発生する連続殺人。これは『砂漠を走る船の道』と同じ設定の話である。さらに、『砂漠――』では砂嵐をはじめとする危機が、本作ではエボラ出血熱という死病が迫ってきているところも同様の趣向だ。しかし、『砂漠――』では、そんな中で発生する殺人の動機が見事に説明され、そのホワイダニットが全編を覆うトリックになっているのに比べ、本作の動機は、作中で伏線として語られているとはいえ、「こうした考え方をするのがこの地では一般的なのだ」ということを一方的に受け入れなければならないものなので、最後まで納得はいかない。
『祈り』
 連作のラストをどう締めるか、ということに徹した内容で、作者の潔さには敬服する。しかし、四作を読み終えて本作を読めば、さすがに叙述トリックも品切れといった感は拭えない。

 収録された五作、大傑作が二作と平均的な三作だから、冒頭述べたように充分にお釣のくる作品集である。
 『叫びと祈り』 梓崎優 創元ミステリフロンティア 2010


       三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人(2010/03/12)



             究極のテクニック

            三崎

 本書の後半で、この不気味な“尖塔”を持つ二つの館、黒鳥館、白鳥館の正体が明かされたときに、思わず、「上手いなあ」とつぶやいてしまった。人によっては「畜生! やられた!」かも知れないし、「なんだ、これは! 怪しからん!」かも知れないが、おれのように日頃から読者を騙すことだけ考えている人間にとっての正直な感想は「上手いなあ」なんでありますね。
 物語はもうガチガチの館物ミステリ。死亡フラグ立ちっぱなしで、そして、期待に違わず、どんどん殺人事件が起こる。
 三浦半島、三崎町、霊峰富士を遠くに臨み、断崖を挟んで建つ二つの館、黒鳥館と白鳥館。おお、如何にも、ばたばたと人が殺されそうな設定ではありませんか。
 大学のサークルの学生が、招待状を貰って、三崎町の黒鳥館を訪ねるところからスタートするお話は、しかし、読み進むにつれて、いらいらするような違和感に囚われていく。定番のストーリーなのに、どこかがおかしい。ウエルカムドリンクが給せられるのだが、シャンパンではなく、怪しい液体であり、館そのものの構造も、恐ろしくシンプルで果たしてこれが館なのかと思えてしまう。いやね。大体、見ず知らずの相手から、一人で、真夜中の黒鳥館にお出でくださいなんて招待状を貰って、誰が、のこのこ三崎町までいくかしら。しかも、招待状には「豪華景品を差し上げます」と書かれているのだ。しかし、本書の登場人物は、男も女も、さして労とは思わないらしく、皆、館を訪れて殺されてしまう。なんだかなあ、と思っていたら……。
 190ページの本書、134ページで、あっさりと館の正体が明かされる。いやはや、本当に上手いなあと思いました。それまで抱いていた違和感が、その瞬間に総て吹き飛んでしまう。しかも、本書全体に仕掛けられたトリックは、じつはもっとずっと壮大で、ここまで技巧に凝った小説は他にないんじゃないか知らん。
 提示される事件と現実の真相の落差といったら、これはもうファンタジーの世界です。
 実は、世界バカミス☆アワードの二次会で、おれは、サインを貰ったばかりの、駕籠真太郎さんの『フラクション』パラパラやりながら、「ほらね、もう、なにからなにまでが伏線になっているんですよ。しかも、これは小説では絶対に出来ないことなんだ」と、自分の手柄みたいに話していたのね。そのとき、すぐ横に座って、ミーコ姫を肩に乗せ、ニコニコ笑いながら、作者の倉阪鬼一郎さんはその話を聞いていたのだ。
(ふふふふ、おれの本を読んだら、もっと驚くぜ)
 そうおっしゃりたかったんだろうなあ。
 これこそ、
「なにからなにまでが伏線になっていて、しかも、マンガでは絶対に出来ない小説」
 なんであります。
 『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』
 倉阪鬼一郎 講談社 2009


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